あの『ドラゴンクエスト』に、実は「使えないカタカナ」があった。
そんな話を聞いたことはあるだろうか?
昭和61年(1986年)発売、ファミコン版の初代『ドラクエ』。
今や伝説的なRPGシリーズだが、当時は「容量」という見えない敵と戦いながら制作されていた。
プレイヤーが知らないその舞台裏には、
“削るか、残すか”の壮絶な取捨選択の歴史があったのだ──。
■ たった64KB。写メ1枚分の容量で作られた『ドラクエ』
ファミコンのROMカセットの容量は限られていた。
初代『ドラクエ』の容量はわずか64KB。
これは…
ガラケー時代の写メ1枚分。
この容量で、
・グラフィック
・音楽
・シナリオ
・セリフやメニューの文字
など、すべてを収めなければならなかった。
あの重厚な世界観が、たったの64KB…!
そう考えると、スタッフの涙ぐましい努力がしのばれる。
■ 使えるカタカナはたった「20文字」しかなかった!
容量の制約は文字にまで及んだ。
その結果、使用できるカタカナは以下の20文字だけに限定されたのだ。
イ・カ・キ・コ・シ・ス・タ・ト・ヘ・ホ・マ・ミ・ム・メ・ラ・リ・ル・レ・ロ・ン
加えて使えるのは濁点「゛」と音引き「ー」だけ。
これにより、半数近いカタカナと半濁点「゜」は排除された。
たとえば、
「スクルト」「ザオリク」「イオナズン」など、後のシリーズでおなじみの呪文は、
初代ドラクエでは“存在すら叶わないことに”。
また、敵キャラの「ダースドラゴン」も、
本来は「ダークドラゴン」と名付けたかったが、
「ク」が使えないために「ダース」となった。
響きは似てるけど、意味は全然違う…
…そんなカタカナ制限の影響は、敵の名前にまで及んでいた。
■ 実は「へ」と「リ」もひらがな流用で節約!
さらに細かい工夫として、
「へ」と「リ」は、ひらがなの形がカタカナと同じため、
文字データを流用して容量節約が図られた。
こうした“見えない節約術”がなければ、
私たちが知るドラクエの世界は完成しなかったのだ。

「たった20文字であの世界を…職人技だブー!」
■ 【幻】ドラクエⅢのオープニングが「カット」された理由
容量問題は初代だけではない。
国民的RPGとして社会現象となった『ドラクエⅢ』でも、
オープニングにまつわる悲しい事実がある。
ファミコン版『ドラクエⅢ』、電源を入れると…
真っ黒の画面に「Dragon Quest III」の文字が出るだけ。
実はこれ、
本来はアニメーションのオープニングが用意されていた。
しかし…
容量が足りず、泣く泣く削除。
その代わりに、3つの街とイベントが追加できた。
ゲーム内容を優先した結果だったわけだ。
ちなみに… 北米版『Dragon Warrior III』には、その幻のオープニングが存在する。

「まさか北米版で実装されてたとは…ズルいブー!」
■ 【さらに】容量の呪縛が生んだ悲劇の数々
容量制約のせいで消えたものは、他にもたくさんある。
◆ 『ドラクエⅡ』の幻の「ストーリー画像」
『ドラクエⅡ』では、
ストーリーを説明する画像が挿入される予定だった。
画像はすでに制作され、説明書にもその名残がある。
だが…当然、容量の壁で削除。

「せっかく作ったのに、もったいないブー!」
◆ バラモス専用の戦闘曲が削除
『ドラクエⅢ』のボス・バラモスには、
専用の戦闘曲が用意されていた。
しかし、これも容量不足でお蔵入り。
ただし、スーファミ版『ドラクエⅢ』のリメイクで、
ようやくこの曲が実装されることに。
プレイヤーのテンションを上げる壮大な楽曲だったそうだ。
◆ 空の宝箱、その正体
『ドラクエⅡ』で、
開けても空の宝箱があるのは、制作側の意地悪ではなく、
「アイテムを入れる容量がなかったから」
削除されたアイテムには、
「耳せん」「死のオルゴール」などがあり、
これらは後のシリーズでも再登場していない。
どんな効果だったのか…想像がふくらむ。
■ 「ドラクエ」の“容量節約”は、実は他のゲームにも影響を与えた?
ファミコン時代、ドラクエが直面した「容量との戦い」は、
実は他のゲーム開発にも波及している。
たとえば、『ポートピア連続殺人事件』。
これも堀井雄二がシナリオを手がけたが、
ファミコン移植の際に、
「音楽を全部カットしなければいけなかった」という話が残っている。
結果として、
「ポートピアはなぜ無音なのか?」
という謎が長年語られることに。
また、ドラクエに限らず、ファミコンゲームでは
「マップの一部パターンを使い回す」「左右反転して違う景色に見せる」など、
グラフィック上の工夫も一般的だった。
こうしたテクニックが磨かれた背景には、
すべて「容量が足りない」という切実な事情があった。
■ 【考察】なぜ「容量節約」が今でも語られるのか?
令和の今、容量制約なんて無縁の時代に思えるが、
“制約の中で生まれたアイデア”こそが語り継がれる理由だ。
・容量が足りなければ文字数を削る
・音楽を削ってでもストーリーやマップを優先する
・再利用可能な素材を増やす
これらはすべて、「より面白いゲームにするための選択」だった。
つまり、
「限界があるからこそ、創造が研ぎ澄まされた」
そしてその研ぎ澄ましの象徴が、まさにドラクエなのだ。

「創意工夫って、制限があるからこそ燃えるブー!」
■ 【余談】カタカナ制限がなければ…「ドラクエⅠの呪文」は今と違ったかも?
初代ドラクエで使用できるカタカナはたったの20文字。
堀井雄二はその限られた文字だけで、「ホイミ」「ギラ」「ラリホー」などを名付けた。
この制限がなかったら──
例えば「ホイミ」は「ヒールライト」、
「ラリホー」は「スリープスペル」、
「ギラ」は「ファイアショット」…
といった洋風・直訳的な長い名称になっていたかもしれない。
しかし、結果的に短く、語感が独特で、耳に残る名前になったのは、
カタカナ制限という“縛り”があったからこそとも言える。

「不自由が名作を生む。ドラクエ呪文はその証だブー!」
こうした背景を知ると、
ドラクエの呪文一つとっても、その裏に詰まった「工夫」と「歴史」を感じざるを得ない。
私たちが「ホイミ」と無邪気に唱えていたあの頃。
その裏には、文字数を削ったスタッフたちの汗と涙の結晶があったのだ。
■ まとめ:「制限」が名作を生んだ
今となっては、ゲームは何GBもの容量が当たり前。
美麗なグラフィックやフルオーケストラの音楽も実現可能だ。
だが、64KBの世界で名作を生んだドラクエ制作陣の知恵と工夫は、
今の時代でも色あせない。
制限があるからこそ、知恵が生まれる。
そんな創作の本質を、ドラクエは私たちに教えてくれているのかもしれない。

「限られた条件でも、名作は生まれるブー!」
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