「素人が何発信してんだって、ずっと思ってるの」──。
お笑いコンビ・チョコレートプラネットの松尾駿さんが、後輩芸人を守るつもりで放ったこのひと言が、SNS上で炎上の火種となった。
きっかけは、不正ログインによる濡れ衣が晴れたアインシュタイン・稲田直樹さんの件。その誤解に乗じた誹謗中傷への怒りは正当だったはずだ。
しかし、そこから飛び出した「芸能人とアスリート以外はSNSをやるな」という極論が、世論の怒りの導火線に火をつけてしまった。
なぜこの発言はこれほどまでに燃え上がったのか?
そこには、“言葉のズレ”が生んだ誤解と、“見下された”と感じる側の感情が複雑に絡み合っていた──。
第1章:「後輩を守りたかった」だけなのに?
ことの発端は、アインシュタイン・稲田直樹さんの冤罪事件。
SNSのDMで不適切なメッセージを送ったとされていたが、後に不正ログインの犯人が逮捕され、稲田さんの潔白が明らかになった。
チョコレートプラネットの2人はこの件に怒りをあらわにし、
特に松尾さんは「一生、電子機器使えない生活にしてほしいわ」と強い言葉で犯人を糾弾した。
そこまでは、まだ理解も得られていた。
だが、続けて飛び出したのが問題の発言だった。
「芸能人とかアスリートとか、そういう人以外、SNSをやるなって」
「素人が何発信してんだって、ずっと思ってるの」
相方・長田庄平さんが苦笑しながら「それじゃ何も流行らない」とやんわり反論したが、松尾さんは譲らなかった。
第2章:なぜ「素人」がここまで怒りを買ったのか
芸能人が誹謗中傷に晒される現状に対し、「免許制にすればいい」とまで語った松尾さん。
言いたかったのは、“軽率に人を傷つける投稿者”への問題提起だったはず。
しかし、それ以上に響いてしまったのはこのワードだった。
「素人が、何発信してんだ」
この一言が持つ意味は、単なる皮肉ではない。
SNSが本来持っていた「誰でも自由に表現できる場」という理念に真っ向から反するものだった。

「それ、“あなたには発信する資格ない”って、選民思想っぽく聞こえちゃうんだブー…」
「素人=見下してもいい存在」という文脈がにじみ出たことで、
多くの人々の「自分もその“素人”に入るのか?」という怒りが噴き出した。
第3章:なぜ今、ここまで炎上するのか
松尾さんが言いたかったのは、おそらく以下のようなことだった。
- 誤情報に乗っかって人を叩く人が多すぎる
- SNSが野放図すぎる
- 発信には責任がある
しかし、それらはすべて“SNSそのもの”の構造的問題でもある。
そして皮肉にも、芸能人自身も「素人のSNS」によって売れ、「素人の発信」によって炎上もするという構造にどっぷりなのだ。
「SNSとは素人のための場所であり、芸能人が後から入ってきた場所である」
という反論も多数あがった。
この意識のズレが、より強い「見下され感」を生んだのだ。
第4章:「逃げた」と見なされる撤退の代償
炎上後、動画は削除。
YouTubeのコメント欄も閉鎖。
しかし、説明も謝罪もないまま動画を“しれっと非公開”にした対応は「逃げた」と取られた。

「言ったなら、ちゃんと説明するのが“大人の責任”だと思うブー…」
視聴者の感覚としては「芸能人様は言いたいこと言って、都合が悪くなったら消すのか」と失望を招いた。
第5章:そもそも「素人」って何?
SNSにおいて、「素人」や「玄人」という区別は意味をなさない。
主婦だろうが会社員だろうが、学生でも、発信すれば拡散力を持ち、影響を与える。
むしろ、芸能人よりも“素人”の投稿がバズることも日常茶飯事だ。
そして、SNSの出発点は「素人のつぶやき」だった。
「寒い」「今日疲れた」「犬がかわいい」──そんな日常の“素人の声”がネットの温度だった。
そこに企業や芸能人が参入し、インフルエンサーが生まれ、宣伝の場となっていった。
それを踏まえると、「芸能人こそがSNSの本来の担い手」という発想は“歴史の逆”とも言える。
第6章:本当に松尾は“叩かれすぎ”なのか?
擁護派の声もある。
- 「言葉は過激だったけど、稲田を守ろうとしただけ」
- 「誹謗中傷への怒りが行きすぎただけで、全否定するのはかわいそう」
- 「気にしなくていい」
確かに、松尾さんはこれまで大きな炎上と無縁だった。
誤解を招く表現はあっても、悪意に満ちた人物ではないことは周知の事実だ。
だが、今回の発言は言葉の選び方と、撤退の仕方の2点で失敗した。
第7章:芸能人と“素人”の関係はこれからどうなる?
SNSというメディアは、芸能人と一般人の距離を限りなくゼロにした。
応援も、誹謗中傷も、ダイレクトに届く。
その中で、「誰が発信していいのか?」という問題は、もはや時代の問いでもある。

「発信って、“偉い人”だけの特権じゃないんだブー!」
今後、芸能人が「距離を近づけすぎるリスク」とどう向き合うか。
一方で、一般人も「“匿名”に甘えた攻撃性」を見直せるか──
炎上の向こうに、私たちはもう一段深い議論を見出すべきだ。
まとめ:これは「発言ミス」ではなく「時代のズレ」
- 松尾さんの真意は「誹謗中傷に怒っていた」
- だが、「素人」という言葉が時代感覚とズレていた
- SNSは“素人”が主役の場でもある
- 動画削除や説明不足で「逃げ」と取られてしまった
- 芸能人とSNSユーザーの「距離感」こそが本質的な課題

「感情ぶつけすぎると、あとに残るのは“炎上の燃えカス”だけだブー…」
今回の一件は、SNS時代の“言葉の重さ”と、“距離のとり方”を考える好機だといえるのかもしれない。
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