ある日のスーパーマーケット。一人の母親が、子供が好きなお菓子のパッケージを手に取り、裏返す。原材料名に、アレルギーの原因となる物質は書かれていない。ほっと胸をなでおろしたのも束の間、その下に続く、小さな、しかし決して見過ごすことのできない一文が目に飛び込んでくる。
「本品製造工場では、卵、乳成分、えびを含む製品を生産しています」
この瞬間、母親の心には、天国と地獄が同時に存在する。
原材料には入っていないという「希望」。
しかし、ゼロではないかもしれない「万が一」の可能性という「不安」。
このお菓子をカゴに入れるべきか、それとも、子供をがっかりさせないよう、そっと棚に戻すべきか。この数秒間の苦渋の選択こそが、日本に数百万いるとされる食物アレルギーを持つ人々、そしてその家族が、365日、毎日直面している現実である。
本稿は、この表示が持つ法的な意味、製造現場の知られざる現実、医療専門家の見解、そして患者さんたちのQOL(生活の質)という、4つの異なる側面から、この問題の深層に光を当てる試みである。
第一章:表示のルールを正しく知る──「義務」と「任意」の、見えざる境界線
この問題を理解する上で、我々はまず、食品のアレルギー表示に関する基本的なルールを知る必要がある。日本の「食品表示法」では、アレルギー表示は大きく2つのカテゴリーに分けられている。
① 表示義務がある「特定原材料」7品目
法律で、必ず表示しなければならないと厳しく定められたもの。アレルギー症状が特に重篤になりやすく、症例数も多い、いわば“最重要警戒リスト”だ。
- 卵、乳、小麦、えび、かに、そば、落花生(ピーナッツ)
これらは、食品の原材料としてごく微量でも含まれていれば、表示が絶対的な義務となる。
② 表示が推奨されている「特定原材料に準ずるもの」21品目
義務ではないが、表示することが望ましいとされているものたちだ。
- アーモンド、いくら、牛肉、大豆、鶏肉、豚肉、まつたけ、やまいも、りんご、ゼラチン など
では、今回のテーマである「同じ設備で製造しています」という表示は、どこに位置づけられるのか。
驚くべきことに、これは上記のどちらにも当てはまらない。法律上の表示義務が一切ない、事業者による完全な「任意」の注意喚起表示なのである。
これは、原材料として意図的に使用したわけではないが、製造過程でごく微量のアレルギー物質が意図せず混入してしまう可能性(コンタミネーション、通称コンタミ)があることを、消費者に知らせるためのものだ。
つまり、この表示がある食品は、「原材料としては使っていないが、コンタミのリスクはゼロではない」という、いわば“グレーゾーン”に位置する製品ということになる。

「ええっ!? あの表示って、法律で決まってるわけじゃないんだブー!? メーカーさんが、親切心(?)で書いてくれてるってことなのかブー…?知らなかったんだブー…」
第二章:製造現場の“誠実なる現実”──なぜ「コンタミ」は起こり得るのか
では、なぜメーカーは、法律で義務付けられてもいないのに、原材料として使ってもいないアレルギー物質の混入リスクを、わざわざ表示するのだろうか。
それは、現代の食品製造における、避けがたい現実と、企業としての誠実な責任感が背景にある。
- 避けられない「製造ラインの共用」
多くの中小食品メーカーでは、限られた設備を効率的に稼働させるため、同じ製造ラインで時間帯を分けて、異なる製品を作ることが一般的だ。例えば、午前中は「えびせんべい」を製造し、午後からはラインを徹底的に洗浄して「塩せんべい」を製造する、といったケースである。 - 徹底した洗浄と、それでも残る「ゼロではない」という科学の壁
もちろん、メーカーは製品を切り替える際に、製造ラインを徹底的に洗浄する。分解できる部品は全て分解し、専用の洗剤や高温水で洗い流し、アレルギー物質が残らないよう、細心の注意を払う。
しかし、どれだけ完璧に洗浄したつもりでも、機械の目に見えないほどのわずかな隙間や、空気中に舞った粉末などが、ごく微量(マイクログラム=100万分の1グラム単位)残存する可能性を、100%否定することは科学的に極めて難しいのだ。 - 企業としての「誠実さ」と「防衛策」
万が一、このごく微量の意図せぬ混入によって、重篤なアレルギー症状を持つ消費者がアナフィラキシーショックなどを起こしてしまった場合、メーカーは計り知れない責任を問われる可能性がある。
そのため、この「注意喚起表示」は、メーカーが自らの製造工程のリスクを誠実に開示すると同時に、万が一の事態に備えるための法的・倫理的な防衛策(免責表示)という側面を強く持っている。
つまり、この表示は、メーカーの怠慢の証では決してない。むしろ、「私たちは徹底した洗浄を行っています。しかし、それでも科学的に保証できない、ごくわずかなリスクが存在します」という、消費者に対する最大限の誠実さの表れと捉えるべきなのである。

「そっかぁ…。一生懸命洗っても、100%大丈夫って言い切れないから、正直に書いてくれてるんだブーね。メーカーの人たちも、すごく大変なんだブー…」
第三章:当事者の視点──その一文は「生命線」か「ただの情報」か
この記事の核心である、「この表示がある食品の危険度は、どのくらいなのか」。
この問いに対する、たった一つの正確な答え。それは、「その人のアレルギー症状の重さによって、危険度は全く異なる」というものだ。
食物アレルギーの重症度は、個人差が非常に大きい。その違いによって、この表示が持つ意味は、天と地ほど変わってくる。
【危険度:高】重篤な症状を持つ人にとっての「生命線」
ごく微量のアレルギー物質を摂取しただけで、アナフィラキシーショック(全身に及ぶ激しいアレルギー反応)を起こす可能性がある、最も重篤なレベルのアレルギーを持つ人。
このレベルの患者さんにとっては、コンタミの可能性を示す「同じ設備で製造」という表示は、「食べてはいけない」という明確な禁止サインに等しい。彼らにとって、この表示は命を守るための、極めて重要な情報、まさしく生命線となる。
【危険度:中】判断が分かれる、最も悩ましい層
原材料として食べれば明確に症状は出るが、ごく微量の摂取であれば、症状が出ない可能性もあるレベルの人。
この層にとっては、判断が最も難しい。その日の体調や、混入している可能性のあるアレルギー物質の量によって、反応が異なる可能性があるからだ。多くの場合、安全を最優先し、食べるのを避けるという、悔しいが決して間違ってはいない選択をすることになる。
【危険度:低】軽微な症状を持つ人にとっての「参考情報」
ある程度の量を食べなければ、症状(口内のかゆみなど、比較的軽いもの)が出ないレベルの人。
このレベルの患者さんの中には、医師と相談の上で、「コンタミ表示のある食品は、自己責任で試してみる」という判断をする人もいる。彼らにとって、この表示は禁止令ではなく、あくまでリスクを判断するための一つの参考情報となる。

「そうなんだブー! 全員にとって同じくらい危ないわけじゃないんだブーね! ちょっとかゆくなるだけの人と、命に関わる人がいるから、情報だけをちゃんと伝えて、判断はその人に任せるっていう仕組みなんだブー。なるほどだブー!」
第四章:医療現場からの提言──「必要最小限の除去」という希望の光
では、アレルギー専門医たちは、この終わりのない戦いを、どのように捉えているのか。
多くの専門家が共通して提唱しているのが、「必要最小限の除去」という、極めて重要な原則だ。
これは、「アレルギーだから、あれもこれもダメ」と、恐怖心から過剰に除去食を広げるのではなく、科学的な検査や診断に基づいて、本当に危険なものだけを、必要最小限の範囲で除去しましょう、という考え方である。
過剰な除去は、子供の栄養不足や成長の妨げになるだけでなく、食べる楽しみを奪い、QOL(生活の質)を著しく低下させてしまう。時には、社会生活からの孤立感にさえつながることがある。
- 専門医の重要な役割:あなたの「閾値(いきち)」を知る
アレルギー専門医の重要な役割の一つが、血液検査や皮膚検査、そして「食物経口負荷試験(実際に病院で、専門家の管理下で原因食物を少量ずつ食べてみて、症状が出るかどうかを確認する試験)」などを通じて、患者さん一人ひとりが、どのくらいの量のアレルギー物質までなら安全に食べられるのか、その「閾値(いきち)」を科学的に見極めることだ。 - 「自分だけの安全ルール」を作る
この「食べられる量=閾値」が分かれば、コンタミ表示に対する向き合い方は劇的に変わってくる。「私の子供は、卵が数ミリグラム混入したレベルでは症状が出ないことが分かっているから、この表示の製品は試してみよう」といった、より個別で、より具体的なリスク管理が可能になるのだ。
つまり医療現場では、コンタミ表示を「思考停止で避けるべき絶対悪」とは捉えていない。
むしろ、それを「専門医と共に、自分や家族のリスクを正しく判断するための重要な情報」として積極的に活用し、患者さんの食生活を、可能な限り豊かにすることを目指しているのである。
終章:私たちは、この表示とどう向き合っていくべきか
「同じ設備で製造しています」
この短い一文が、これほどまでに多くの背景と、多様な意味を持っていることを、我々は社会全体で理解する必要がある。
- 製造者にとっては、消費者への誠実さと、企業としてのリスク管理の証である。
- 重篤な患者さんにとっては、自らの命を守るための、かけがえのない生命線である。
- そして、多くの患者さんとその家族にとっては、食べるか食べないかを決断するための、悩ましくも重要な情報である。
この表示があるために、食べられるはずの多くの食品が選択肢から消えてしまうのは、本当に残念なことだ。しかし、それは同時に、メーカーが消費者の安全に最大限配慮し、社会全体でアレルギーのリスクを管理しようとしている証でもある。
我々消費者ができることは、まず、この表示の正しい意味を知ることだ。そして、もし自分や家族がアレルギー当事者であるならば、いたずらに恐怖を感じるだけでなく、専門医と緊密に連携し、「自分たちにとっての本当の危険度」を正しく把握する努力をすることだ。
この表示は、食の選択肢を狭める、冷たい「壁」のように見えるかもしれない。
しかし、その本質は、メーカー、医療、そして患者さん自身が、アレルギーという共通の課題と向き合うための、重要な「コミュニケーションツール」なのである。
その意味を社会全体で共有することこそが、アレルギーを持つ人々が、より安心して、豊かな食生活を送るための、確かな一歩となるだろう。

「ただの注意書きだと思ってたけど、メーカーさんの誠実な気持ちと、食べる人それぞれの事情が詰まった、すごく深イイ一文だったんだブー! これからは、この表示を見る目が変わりそうだブー!」



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