【徹底解剖】なぜ、あの人は絶対に謝らないのか──「謝ったら死ぬ病」の正体と、その処方箋

実用
この記事は約9分で読めます。

「私の発言で、もし不快に思われた方がいらっしゃるとすれば、それは私の本意ではありません」

炎上した政治家が、会見で口にする、謝っているようで、全く謝っていない、空虚な言葉。

「そもそも、君のやり方にも問題があったんじゃないか?」

明らかなミスを指摘したにもかかわらず、巧みに論点をすり替え、逆にこちらを批判してくる上司。

「そんなつもりで言ったんじゃないのに、大げさだなあ」

相手を傷つけた事実を認めず、こちらの感受性の問題へと責任を転嫁する家族や友人。

私たちの周りには、驚くほど多くの「絶対に謝らない人」が存在します。
彼らは、自らの非を認めることを極端に恐れ、屁理屈をこね、話をそらし、時には逆ギレすることで、決して「ごめんなさい」の一言を口にしません。その頑なな態度は、周囲の人間を疲弊させ、人間関係に修復不可能な亀裂を生み出します。

なぜ彼らは、かくも頑なに自己正当化に固執するのか。その心の奥底では、一体何が起きているのでしょうか。

本稿は、この「謝ったら死ぬ病」とも揶揄される人々の、複雑でいびつな心理構造を、最新の心理学・社会学の知見を基に解剖し、その上で、私たちが彼らとどう向き合っていくべきか、具体的な処方箋を提示するものです。


スポンサーリンク

第一章:なぜ「謝らない人」は、これほど目立つようになったのか?

まず、多くの人が肌で感じている「昔に比べて、謝らない人が増えたのではないか」という感覚。これは、単なる気のせいなのでしょうか。

社会学的な視点から見ると、この感覚を裏付ける、いくつかの深刻な社会構造の変化が浮かび上がってきます。

  • 1. SNSという「失敗が許されない」公開法廷
    • かつて、個人の失敗は、その場の人間関係の中だけで処理される、比較的閉じたものでした。しかし、SNSの普及により、たった一つの失言やミスが、瞬時にスクリーンショットされ、全世界に拡散し、永遠に消えない「デジタル・タトゥー」として刻まれる時代になりました。
    • この環境では、「謝罪=自らの非を公的に、そして永久に認めること」となり、一度謝れば、それを根拠に未来永劫、攻撃され続けるリスクを伴います。この過剰なリスクが、「下手に謝るくらいなら、徹底的に否認し続けた方が得策だ」という、歪んだ防衛本能を生み出している側面があります。
  • 2. 「論破文化」という、不毛なゲームの蔓延
    • インターネットの議論の場では、真実を探求することよりも、相手を言い負かす「論破」が、一種のエンターテイン-メントとして消費されるようになりました。
    • この文化の中では、「謝罪=敗北」と直結します。自分の主張の正しさよりも、議論の勝ち負けが優先されるため、自らの誤りを認めることは、プライドが許さない「負け犬」の行為と見なされがちです。
  • 3. 価値観の多様化と「共通の常識」の崩壊
    • 社会が成熟し、価値観が多様化したことで、かつてのような「絶対的な正しさ」や「共通の常識」が揺らいでいます。
    • これにより、「何が謝罪すべき事柄なのか」という基準そのものが、人によって大きく異なるようになりました。「私は正しいと思っているのだから、謝る必要はない」という主張が、以前よりも罷り通りやすくなったのです。

これらの社会的な変化が、「謝らない」という態度を助長し、彼らの存在をより可視化している。これが、「謝らない人が増えた」と感じる、第一の理由です。

ブクブー
ブクブー

「わかるんだブー!ネットで一度謝ると、その言葉だけがずっと残って叩かれ続ける…って思うと、怖くて謝れなくなる気持ちも、ちょっとだけわかるんだブー…」


第二章:「謝らない人」の心の奥底──5つの、あまりにも脆い“心の壁”

では、彼らの内面、そのいびつな心理構造は、どのようになっているのでしょうか。心理学的な分析に基づくと、その行動の裏には、主に5つの強固な心の壁が存在することが分かっています。

  1. 【壁①】脆弱な自己愛(プライド)という名の“ガラスの心”
    • 彼らの多くは、一見すると自信過剰に見えますが、その実、極めて脆く、傷つきやすい自己愛(プライド)を抱えています。彼らにとって、「自分の間違いを認めること」は、単なる一つの失敗ではありません。自らの存在価値そのものが否定されるに等しい、耐え難い屈辱なのです。謝罪は、彼らの脆い自己肯定感を根底から揺るがす「劇薬」であるため、全力でそれを回避しようとします。
  2. 【壁②】認知的不協和 ―“事実”を捻じ曲げる、無意識の防衛本能
    • 「認知的不協和」とは、「自分は正しい人間だ」という自己認識と、「自分は間違ったことをした」という客観的な事実との間に矛盾が生じた際に感じる、強い不快感のことです。
    • この不快感を解消するため、人間は無意識に、どちらかの認識を歪めようとします。「間違った自分」を認めるのは苦痛なので、代わりに「自分は間違っていない」「悪いのは相手の方だ」と、事実の方を捻じ曲げて解釈してしまうのです。これが、自己正当化の屁理屈が生まれるメカニズムです。
  3. 【壁③】完璧主義という名の“呪い”
    • 完璧主義者にとって、ミスや失敗は「あってはならないこと」。彼らは、「完璧な自分」という理想像を維持することに、異常なまでに固執します。そのため、自らの過ちを認めることは、その完璧な自己イメージにヒビを入れる行為であり、決して受け入れることができません。
  4. 【壁④】謝罪=敗北・服従という“歪んだ世界観”
    • 彼らの世界は、常に「勝ち負け」「優劣」という二元論で構成されています。この価値観の中では、謝罪は相手に対する「敗北宣言」であり、「服従」の証と見なされます。相手より優位に立ちたい、支配したいという欲求が強いため、自らを「下」の立場に置くことになる謝罪を、本能的に拒絶するのです。
  5. 【壁⑤】責任と結果への“過剰な恐怖”
    • 謝罪が、叱責、非難、賠償、降格といった、具体的な「罰」に繋がることを、過度に恐れているケースもあります。特に、一度謝罪すると、相手がどこまでも責任を追及してくるのではないか、という人間不信が根底にある場合、「謝ったら、全てを失う」という極端な恐怖心から、徹底抗戦の構えを取ってしまうのです。

これらの心の壁が、複雑に絡み合い、「絶対に謝らない」という、強固な鎧を形成しているのです。


第三章:「ごめんなさい」が持つ、本当の意味と“驚くべき力”

彼らの心理を理解するためには、まず、私たちが当たり前のように考えている「謝罪」とは、本来どのような要素で構成され、どのような力を持つ行為なのかを、再定義する必要があります。

  • 「偽物の謝罪」と「本物の謝罪」
    • 「謝らない人」が、追い詰められた末に口にするのは、「不快にさせたなら謝る」といった、条件付きの「if謝罪」や、「謝罪はしますが、私にも言い分が…」という責任転嫁型の言い訳など、「偽物の謝罪」ばかりです。
POINT

一方、心理学などで定義される「本物の謝罪」には、以下の4つの要素が不可欠だとされています。

  1. 非の承認(Recognition):「私の〇〇という行動が、間違いでした」と、自らの過ちを具体的に認めること。
  2. 責任の受容(Responsibility):「その責任は、全て私にあります」と、他責にせず、責任を引き受ける姿勢を示すこと。
  3. 後悔の表明(Remorse):「あなたを傷つけてしまい、本当に申し訳なく思っています」と、心からの後悔と共感を伝えること。
  4. 改善と埋め合わせ(Restitution):「今後は二度とこのようなことがないようにします。何か、私にできることはありますか?」と、具体的な再発防止策と、償いの意思を示すこと。
ブクブー
ブクブー

「なるほどだブー!ただ『ごめん』って言うだけじゃなくて、ちゃんと4つのステップがあるんだブーね。これなら、本当に反省してるって気持ちが伝わるんだブー!」

  • 謝罪がもたらす、驚くべき「力」
    • この4つの要素を満たした「本物の謝罪」は、単に問題を収束させるだけでなく、むしろ、それ以前よりも人間関係を深め、信頼を再構築するという、驚くべき力を持っています。
    • 過ちを認め、頭を下げる姿は、決して「敗北」ではありません。自らの弱さと向き合う「誠実さ」と「強さ」の証として、相手の心に響くのです。「謝らない人」は、この謝罪が持つ、人間関係における最も重要な「回復機能」を、自ら放棄してしまっているのです。

第四章:私たちにできること──「謝らない人」への、賢明な処方箋

では、私たちの周りにいる「謝らない人」に対し、私たちはどのように振る舞うべきなのでしょうか。彼らを変えることは、残念ながら極めて困難です。重要なのは、彼らに振り回されず、自分自身の心と平穏を守るための、具体的な「処方箋」を持つことです。

  1. 【処方箋①】「謝罪を期待する」のを、きっぱりとやめる
    • まず、最も重要な心構えは、彼らから「本物の謝罪」を引き出そうと期待することを、諦めることです。彼らの心理構造上、それはほとんど不可能です。謝罪を求め続ければ、あなたは消耗し、疲弊するだけです。
  2. 【処方箋②】「感情」ではなく「事実」と「未来」に焦点を当てる
    • 彼らを責めたり、感情的に非難したりしても、彼らはさらに心を閉ざし、自己防衛に走るだけです。「なぜ謝らないの!」と問い詰めるのは逆効果です。
    • 代わりに、「〇〇という事実が起きました。今後、この問題が再発しないためには、具体的にどうすればよいでしょうか?」と、過去の責任追及ではなく、未来の解決策についての議論に、焦点をシフトさせましょう。
  3. 【処方箋③】物理的・心理的な「境界線」を、毅然と引く
    • 彼らの自己正当化や責任転嫁に、真正面から付き合う必要はありません。「あなたの考えは分かりました。ですが、私は違う考えです」と、冷静に伝え、議論を打ち切りましょう。
    • 彼らの言動によって、あなたの自己肯定感が損なわれるようなことがあってはなりません。必要であれば、物理的に距離を置くことも、自分を守るための重要な選択肢です。
  4. 【処方箋④】「戦わない」という、最も賢明な選択をする
    • 全ての戦いに、勝つ必要はありません。彼らの土俵に上がり、勝ち負けを争うこと自体が、彼らの思う壺です。
    • 時には、「この問題で、この人と争うエネルギーは、自分にとって本当に価値があるか?」と自問し、賢明に「戦わない」ことを選ぶ勇気も必要です。

終章:彼らは、あなた自身の心を映す“鏡”かもしれない

「絶対に謝らない人」。
彼らの存在は、私たちにストレスと、深い不快感を与えます。しかし、彼らをただ「いびつで、厄介な人」として断罪するだけで、この物語を終えるべきではありません。

彼らの頑なな態度は、翻って、私たち自身の心の中にも潜む「間違いを認めたくない」という、普遍的な弱さを、増幅して映し出す“鏡”のような存在なのかもしれません。

私たちは、本当に、いつでも素直に謝れているだろうか。
自分のプライドを守るために、無意識のうちに誰かに責任を転嫁してはいないだろうか。

「謝らない人」との遭遇は、私たちに「本物の謝罪とは何か」「誠実な人間関係とは何か」を、改めて深く考えさせてくれる、一つのきっかけとなり得ます。彼らを反面教師としながら、私たち自身は、過ちを認める強さと、素直に頭を下げる勇気を持ち続けたい。

その積み重ねこそが、私たちの社会を、より寛容で、信頼に満ちたものにしていく、唯一の道なのかもしれません。

ブクブー
ブクブー

「そっかぁ…。『あの人、なんで謝らないの!』って怒るだけじゃなくて、『じゃあ、自分はどうだろう?』って振り返るきっかけにもなるんだブーね。難しいけど、すごく大事なことだブー。まずは、僕から素直に『ごめんなさい』を言えるようにならなくっちゃだブー!」

実用教養
スポンサーリンク
NEWS OFFをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました