伊東市長・田久保真紀氏の「卒業証書」をめぐる疑惑が、新たな局面に入った。
市議会議長のもとに届いた“告発文”──そこに記されていたのは、
「田久保だけ卒業できないのはかわいそうだったから、お遊びで作ってあげた」という一文だった。
もしそれが事実ならば、
田久保市長が議会に“チラ見せ”した卒業証書は、冗談半分で作られたニセモノということになる。
そして、それを本人が「証拠」として提示したとすれば、信頼の構造は根底から崩れる。
さらに田久保氏は、百条委員会への出頭と証言を正式に拒否。
「裏取りのない怪文書だ」と反論する一方で、原本の提出も、具体的な説明も、頑なに避け続けている。
信頼か、不信か。
冗談か、偽装か。
政治家の“学歴”は、いまや一枚の紙切れ以上の意味を持ち始めている──。
第1章:証言拒否のその時、舞い込んだ“告発文”
2025年7月18日。
静岡県伊東市議会に、中島弘道議長宛ての一通の封書が届いた。
中身は、田久保真紀市長の学歴詐称疑惑に関する新たな「告発文」だった。
差出人は東洋大学法学部1992年卒を名乗る人物──田久保氏と同期である可能性があるという。
そして、そこに記されていたのは衝撃の内容だった。
「田久保だけ卒業できないのはかわいそうなので、卒業証書を“お遊び”で作ってあげた」
つまり、田久保市長がかつて市議会に“チラ見せ”した卒業証書は、正式なものではなく、仲間内の悪ノリ(?)で作られた非公式なものだったというのだ。
第2章:“チラ見せ卒業証書”とは何だったのか
田久保氏は、過去に市の広報誌等で「東洋大学法学部卒業」と記載していたが、大学側からは除籍であったことが確認されている。
その後、議会から百条委員会に原本提出を求められたが、田久保氏側は証書の原本提出を拒否。
代わりに、市議らに「それらしきもの」を“チラ見せ”するという不可解な行動をとった。
そして、その“それらしきもの”が、今回の告発文によって、実は冗談半分で作られた偽造物だった可能性が浮上したのだ。

「“お遊び”って…それ、市長の学歴の土台になる書類ブー!? 冗談が行政に届くとこうなるブー!」
第3章:市長の反応「怪文書」「大変遺憾」「不自然だ」
田久保市長はすぐさまX(旧Twitter)を更新し、
今回の文書を「怪文書」と断じたうえでこう綴った。
- 「私の同級生を名乗る人物からの怪文書が議長あてに送られたという件について」
- 「裏取りのない報道は大変遺憾です」
- 「実際の同級生なら私にも連絡があってしかるべきで、議長にだけ手紙を送るのは不自然」
- 「現在、ほとんどの同級生とは連絡が取れており、所在も把握しています」
これらの発言は、一見冷静な弁明のようにも見えるが、逆に「本物の卒業証書を出せば全て終わる」という問いに対しては、一切触れていない点が際立っている。
第4章:百条委員会への出頭・証言も“拒否”
告発文騒動の渦中、田久保市長は7月24日に議長へ“出頭拒否”の回答書を提出した。
回答内容は長文にわたり、要旨は以下の通り。
- 回答済みの内容に重複があるため、証言は不要
- 除籍の理由は不明で、大学に照会中
- 匿名文書をもとに尋問されることは「証人の権利利益を侵害する」
- 指定された出頭日時も「代理人弁護士の調整が困難」として拒否
回答書の結びにはこう記されている。
「地方自治法第100条第3項に定める『正当な理由』があると判断し、出頭は拒否いたします」
これに対し、議長は怒りをあらわにし、
「無責任な主張。真摯な態度ではない。不誠実だ」
と語った。
第5章:「学歴詐称」は、市長職の根幹を揺るがすか?
「学歴詐称」は、法律上ただちに市長職の失格とはならない。
だが、問題は有権者への説明責任と行政トップとしての“信頼資産”にある。
田久保氏はこれまで、市の広報誌や選挙活動などで「東洋大学法学部卒業」と明記。
しかし、大学側は「除籍」を認め、本人もそれを事実として認めた。
つまり、“卒業していない”ことはすでに確定しているのだ。
では、なぜ「卒業」と明記してきたのか?
その“意図”が問われる段階に入っている。
- 形式的な法令違反ではなく、“政治的誠実さ”が問題視されている
- 有権者が受けた“誤解”は選挙結果に直結する

「ウソが問題なんじゃなくて、“どうしてウソが続いてたか”の方がみんな気になるブー!」
第6章:「お遊びで作った卒業証書」──その言葉が意味するもの
「卒業証書をお遊びで作ってあげた」
この文言は、意図的な偽造を避けるようなニュアンスを漂わせつつ、
実際には虚偽を前提とした“演出”に加担した証言としても読める。
仮に、差出人の人物が本当に同期の学生であれば──
・田久保氏が卒業できていないことを周囲が知っていた
・そのことに同情的であった
・形式的に「卒業証書のようなもの」を作って渡した
という“悪意なき偽装”の構図が浮かぶ。
だが、市政を預かるトップがそれを本人の経歴証明として使用したとすれば、話は別だ。
これは「冗談を真に受けて、行政の場に持ち込んだ」構図なのか?
それとも「都合よく“お遊び”を盾にした詐称の隠れ蓑」だったのか?
どちらにせよ、行政文書で確認された“チラ見せ卒業証書”の正体がこれならば、説明責任の重さは極めて大きいのは明らかだ。
第7章:なぜ“本物”を提示しないのか?
ここまで事態が紛糾してもなお、田久保氏は“卒業証書の原本”を提出していない。
- なぜ出さないのか?
- 手元にないのか?
- 存在しないのか?
大学が「除籍だった」と明言している以上、本物の卒業証書が存在しないことは確実と見られる。
ならば、なぜ“それらしきもの”を持っているのか?
それが今回、同期生からの告発によって「お遊びで作ったニセ証書」だった可能性が高まったわけだ。
本物が出せないから“それっぽい何か”を出す──これは“説明責任”の放棄に等しい

「“本物がないけど似たやつあるから見せとくね”って、
それもう、紙芝居みたいな政治だブー…」
まとめ:「説明責任」と「行政の信頼」は、紙1枚で崩れる
今回の伊東市長・田久保真紀氏を巡る学歴詐称疑惑は、
「お遊びで作った卒業証書」という告発によって、“ジョークと行政”の境界線が曖昧になる危険性を突きつけた。
証書が本物かどうか──それも重要だ。
だがもっと大事なのは、
- なぜその証書を使おうとしたのか
- なぜそれを市民に説明してこなかったのか
- なぜ今も原本を出さないのか
という「なぜ?」の積み重ねだ。
政治とは「信じるに足ること」を一つひとつ積み重ねる営み。
そこに“紙一枚のウソ”が挟まれば、全体の信頼構造が瓦解してしまうのだ。

「お遊びで作った卒業証書が、市政の根幹を揺らすことになるなんて、
誰が想像したブー?
でも、ウソはいつか本当より重くなるブー…!」
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