お笑いコンビ・スリムクラブの真栄田賢が、またもや「不思議な預言力」を発揮した。
きっかけは、X(旧Twitter)への意味深投稿。名前こそ伏せられていたが、“あのちゃん”をめぐる空気を察知し、
「第二の、、の雰囲気がある」
とつぶやいた。
これにネットはザワついた。「“第一の人”って、あの人でしょ…?」と。
果たしてこの投稿は単なる偶然か?それとも──「笑い」が「予言」になってしまうこの時代の皮肉か?
いま“あのちゃん”に対して、「ちょっと心配かも…」と感じている人はいないだろうか。
直接言うわけじゃない。批判するでもない。
ただ、「誰も注意できなくなっている」という空気だけが、静かに漂っている──。
それを最初に言語化してしまったのが、お笑いコンビ・スリムクラブの真栄田賢だった。
彼が発したさりげない一言には、現代の“優しさという沈黙”への疑問が込められている。
第1章:「誰も注意できなくなってる」──不思議な言葉の預言性
事の発端は、2021年の『クセがスゴいネタGP』(フジテレビ系)。
真栄田が演じたネタの最後の一言が、いま再び脚光を浴びている。
「誰もフワちゃんを注意できなくなっている」
──それは、社会風刺とも取れるブラックジョークだった。
だが2024年、フワちゃんが芸人・やす子への不適切投稿で炎上。
この出来事により、あのネタがまるで“預言”だったかのように注目されることとなった。
本来は笑いで済ませるべきネタが、「現実の社会的現象」として浮上してくる──この皮肉が、真栄田の発言に妙な説得力を与える。
第2章:“あのちゃん”に向けられた“第二の、、”という視線
2025年7月、再びXに投稿されたこの言葉。
「誰も、あのちゃんにものを言えなくなっている。第二の、、の雰囲気がある。やだぁ。」
一見ただのボヤきだが、空気を察する読者にはすぐに伝わった。
“第二の”とは、“第一のフワちゃん”を暗に示しているのではないか、と。
これは“悪意”ではない。むしろ“気づいた人の優しい警告”に近い。 真栄田は断定もしないし、説教もしない。 ただ、「空気がそうなり始めている」ことを指摘しただけ。
コメント欄には、
「そのセリフに聞き覚えがあります」
「あちらさんが消しゴムマジックで消えたとして、あのちゃんは一体、どのマジックで…」
──などと、鋭くもシニカルな反応が相次いだ。
注意されない状態=みんなが肯定しているわけではない。
むしろ、「触れるのが怖い」「空気を壊したくない」という“集団の静かな忖度”が発動している状態なのだ。
第3章:真栄田賢という“ズレた預言者”の存在感
スリムクラブの漫才といえば、独特の“間”と“気の抜けたズレ感”が魅力。
だが真栄田賢という芸人は、言葉の端々に妙に刺さる“社会感覚”を持っている。
- 「注意できなくなってる」=集団心理
- 「誰も言わない空気」=忖度
- 「第二の、、」=タレントが“神格化”される流れ
どれも、“その場の空気を崩さないように笑って済ませる”現代の空気に一石を投じている。

「なんかこの人、“笑いながら空気読まない勇気”持ってる気がするブー!」
第4章:タレントの“神格化”とテレビの危うさ
今のテレビ界には、「あの人にだけは何も言えない」という空気がある。
それは時に、自由を保障する一方で、タレント自身を“危うい場所”に立たせてしまうこともある。
- 一言のミスが大炎上に
- スタッフが誰も止めない
- SNSで神格化 or 処刑化
この構造の中で、「誰も注意できない」状態は、むしろ周囲の責任放棄でもある。
真栄田の“つぶやき”は、芸人という立場から放たれた 小さな風刺であり、テレビと社会への警鐘でもある。
第5章:“第二の、、”が示唆する不穏な兆し
重ねるが、“第一の”とされるのは、おそらくフワちゃん。
かつて同じようにテレビで重宝され、「注意されないキャラ」となり、
やがて“あの件”で炎上──
その過程を、視聴者も制作者も、薄々見てきた。
そして今、その“既視感”をうっすらまといはじめているのが、あのちゃんである。
- 発言が話題になる
- 周囲が笑って受け流す
- でも、ちょっとした不安も感じる
これは、“好感度キャラ”が持つ見えない緊張とリスクでもある。
第6章:「優しさ」の仮面をかぶった“無責任”の構造
「誰も注意しない」状態は、
裏を返せば──「誰も責任を取らない」状態でもある。
- 失言があってもフォローされる
- 無難な空気が本人を包み込む
- そして、ある日突然“その空気”が反転する
この構図を、私たちは何度も芸能界で見てきた。
“あの人があんなこと言うとは思わなかった”
→ いや、思ってたけど、誰も言わなかっただけだ。

「優しさって、時々“見て見ぬふり”の言い訳にもなるブー…」
第7章:“言われなくなった時”が、一番危うい
人気タレントがメディアにおいて“神格化”される瞬間は、
実は一番危ない瞬間でもある。
- 誰も「それどうなの?」と言わない
- 誰も軌道修正をしない
- むしろ本人が“調子に乗らない努力”をしなければ、誰も止めない
あのちゃんが今まさにそうだ、とは言わない。
でも、“そうなりかけている空気”を察知している人たちは、確かにいる。
その空気を、最初に“笑い”というフィルターで言葉にしたのが真栄田賢だった──。
第8章:“今ならまだ間に合う”というメッセージかもしれない
真栄田の投稿は、本人もネタっぽく終わらせている。
「と、内間が言っています。僕は世界が平和であればとしか思ってません」
──でもこれは、「本音にフィクションをかぶせている」構造でもある。
本当に世界が平和であれば、こんな投稿すらしない。
本人が気づいてくれれば、それでいい。
でも、言葉にしておかないと、空気はさらに進行してしまう。
その絶妙な“間”こそが、この投稿の本当の価値だ。
- 「誰も注意しない」状態が、優しさなのか、それとも沈黙の圧力なのか。
- “チヤホヤされている今が華”──でも、その華は時に、落とし穴の入り口にもなる。
真栄田賢が言葉にしたのは、
テレビ界とSNS時代における“好感度キャラ”の脆さと危機だったのかもしれない。
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