国民的歌手・橋幸夫さんの通夜に現れたのは、EXILE ATSUSHI本人──ではなく“そっくり芸人”だった。
モノマネ芸人・RYOがサングラス姿で参列し、報道陣を混乱させた上、動画や写真をSNSに投稿。
「売名行為だ」「弔意を踏みにじっている」と批判が噴出し、謝罪後も炎上は収まらない。
かつては「人を笑わせる存在」として受け入れられてきたモノマネ芸人。
だが今回の騒動は、その存在が抱える“危うさ”と、SNS時代の炎上構造を浮き彫りにした。
なぜ、厳粛な場での“なりきり”はここまで嫌悪されたのか──?
第1章 「ATSUSHI登場?」から始まった混乱劇
9月9日、東京・傳通院で営まれた橋幸夫さん(享年82)の通夜。
舟木一夫や鳩山由紀夫元首相ら著名人を含む約700人が参列し、厳粛な空気に包まれていた。
ところがその場に現れたのは──サングラスに金髪オールバック、誰もがEXILE ATSUSHIだと思った男性。
「本人じゃないの?」と取材陣がざわつく中、本人はこう答えた。
「ものまね芸人なんで。このスタイルで来てました」
「橋さんとお会いしたことはあるんですけど、お付き合いはないです。親交はないです」
つまり、深い交流があったわけでもなく、故人に特別な縁があったわけでもない。
その関係性で“なりきりスタイル”のまま現れ、取材や写真撮影に応じたことに対し、
「ならばなぜ参列したのか?」と疑念が集中した。
弔意よりも「話題作り」が目的だったのではないか、と批判を招いた最大の理由がここにある。

「“親交ないです”って自分で言っちゃうの、炎上ブースターすぎるブー!」
第2章 弔意とパフォーマンスの線引き
弔問の場に“なりきり姿”で登場したこと、
さらに式場内で動画や写真を撮影・SNS投稿したことが、炎上の火種となった。
- 「人の通夜で売名するな」
- 「善悪の判断ができなさすぎる」
- 「ATSUSHI本人なら絶対サングラス外してる」
と批判が殺到。
「モノマネ芸人なら場を和ませる」という言い訳は通用しない。
葬儀はパフォーマンスを排除すべき聖域であり、弔意より“目立つこと”を優先した時点で線を越えていた。
第3章 「売名」と映った理由──SNS時代の構造
今回、批判が強烈になった理由は「売名目的」と見られた点にある。
- SNS投稿
→ 「葬儀場の看板前で記念写真」「取材を受ける動画」までアップ。
→ まるで「話題化」こそが目的のように映った。 - タイミングの悪さ
→ 直前に橋幸夫さん死去の報道で世間が悲しみに包まれていた。
→ “便乗”に見える行動はより強く拒絶された。 - 謝罪の遅れと軽さ
→ 投稿後に「勘違いさせてすみません」と軽く流し、数日後に「軽率でした」と追加謝罪。
→ 真剣さが伝わらず、かえって「開き直り」と受け止められた。
SNSに残る「証拠映像」が、謝罪より先に人々の怒りを増幅させた。
第4章 “そっくりさん”芸人が抱える宿命
演出家・藤井健太郎氏はこの件を受けてXにて、このようにポスト。
「歌マネや声マネなどと違い、ひとつも努力せずに売れてしまうことがあるため、そっくりさん系のモノマネ芸人にはヤバい人が多めに含まれているのは有名な話。」
つまり“顔が似ている”だけでステージに上がれてしまう特殊なジャンル。
芸人としての修練よりも、「似ている」という偶然性がキャリアを形づくってしまう。
努力の裏打ちが薄いぶん、倫理観や判断力の未熟さが露呈したとき、世間の批判はより厳しくなる。
第5章 芸能界における「場の規律」
芸能界には“笑わせる場所”と“笑ってはいけない場所”がある。
テレビなら「水曜日のダウンタウン」のように“不謹慎ギリギリ”が演出として許されても、葬儀では言語道断だ。
- 葬儀は「個人を偲ぶ場」
- 芸人は「自己を表現する場」
両者を混同すると、弔意を踏みにじる結果になる。
「誰のための場か?」を誤認したことが最大の過ちだった。
第6章 ATSUSHI本人への“飛び火”
炎上は芸人RYO本人だけにとどまらなかった。
- 「ATSUSHIの顔に泥を塗った」
- 「公認取り消すべき」
- 「EXILEファンとして耐えられない」
モノマネ芸人の行動は、そのモデル本人のイメージに直結する。
「公認芸人」という肩書きがあったぶん、ブランドに対する背信行為と受け止められた。
そして今回の騒動は、ついに EXILE ATSUSHI本人 にも届いた。
10日、EXILEの公式動画プラットフォーム『CL』の有料会員向けライブ配信で、この件に触れたATSUSHIは次のように語ったという。
「故人を弔うのに自分の格好をする必要は全くない」
「正直ナメてるなと思いました」
怒りの矛先は、自分のイメージを勝手に利用されたこと以上に、
「橋さんの遺族やファン、自分のファンに嫌な思いをさせたこと」へと向けられていた。
さらにATSUSHIは、RYOが「公認芸人」を名乗っていることについても苦言を呈し、
「公認した記憶はない。もしそう言っていたのなら解除」とも発言。
ファンとの交流の場で本来なら語りたくなかったはずの話題を、苦々しい思いで語る姿が印象的だった。
本家の冷静な言葉は、「芸人として失格」という世論の総意を裏づけたとも言える。

「“ナメてる”ってATSUSHIさんに言わせちゃった時点で、もう致命的ブー…」
第7章 まとめ──“炎上”は必然だったのか?
結局この騒動は、
- 場をわきまえなかったこと
- SNSに記録を残したこと
- 謝罪の遅れと軽さ
という三重のミスで、“売名行為”という最悪のレッテルに結びついた。
弔意を示すはずの行動が、人の死を利用する軽薄なパフォーマンスに映ってしまったのだ。

「笑いの才能と、空気を読む力はセットじゃないといけないブー…。
ステージと弔いの場は、同じ“スポットライト”じゃないブー…」
結論
“ものまね芸人”という存在は、本来「笑わせることで人を救う」力を持つ。
しかし場を間違えれば、一瞬で「倫理観を疑う存在」に転じる。
今回の炎上は偶然ではなく──SNS時代における必然的な事故だった。
人を笑わせる技術以上に、人を傷つけない感覚が求められていることを、改めて突きつけた出来事である。
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