「水を飲むな」
そう言われて育った世代にとって、
部活や運動の現場は、まさに乾いた地獄だった。
昭和〜平成初期まで続いたこの指導スタイルは、
現代では信じがたい“迷信”として語られるが、
当時の社会や気候、教育観を紐解くと、そこには驚くべき合理と非合理の混在が見えてくる。
【第1章】水は「飲むとバテる」?──指導の“理屈”を検証する
まず、なぜ水が「ダメ」とされていたのか。
当時の“理屈”は以下のようなものだった。
- 飲むと内臓が冷えて動けなくなる
- 飲みすぎると胃がたぷたぷして走れない
- 休憩時に水を与えると気が緩む
- 汗をかきすぎると体力が削がれる
つまり、「水=弱体化アイテム」という認識が根強かった。
「水を飲むとじゃんじゃん汗になって流れて、体力を持っていかれるんだよ」
このような現場の“肌感覚”が、理論未満の感覚知として指導に転化していた。
【第2章】それは根性論だったのか、気候のせいだったのか
「水禁止=時代遅れの根性論」と一括りにされがちだが、
意外にも当時の環境は、現在と大きく異なっていた。
- 昭和の気温は今より3〜5℃低かった
- 湿度やヒートアイランド現象の影響も今ほど深刻でなかった
- 当時の子どもたちは塩分過多の食事が多く、脱水に“強かった”
その上で、「水は飲まないのが当たり前」という体育会的同調圧力が重なり、
“飲んでもいい”とは誰も言い出せなかった。

「今と気候も体質も違ったブー!でもそれでも水を禁止するのはやりすぎだったブー!」
【第3章】水を求めてトイレへ──「隠れて飲む」文化の誕生
水は飲めない。
でも喉は渇く。
だから子どもたちは「隠れて飲む技術」を磨いた。
- トイレに行くふりをして手洗い場で口を潤す
- 親が凍らせて持たせたペットボトルをカバンの底に忍ばせる
- 厳しい先輩の目を盗んで自販機に走る
その一方で、隠れて飲むという行為が“スリルと快楽”をもたらし、
逆説的に「根性の美徳」が強化されていく、という歪な構造も生まれていた。
【第4章】“熱中症”という言葉の登場で、世界は変わった
昭和時代、「熱中症」という言葉は一般にはほとんど浸透していなかった。
その代わり、子どもが倒れると「虚弱体質」「練習不足」と片づけられていた。
しかし1990年代以降──
- 「熱射病」や「日射病」が「熱中症」という総称で分類され
- 医学的リスクが可視化され
- 2000年代には「水分補給のタイミング」や「塩分バランス」までが指導に組み込まれるように
つまり、「水を飲むな」から「チビチビ飲め、塩も摂れ」へと、
文明が一段、進化したのである。
【第5章】そして現代へ──「扇風機・水分・着替え」が標準装備に
今、現代の子どもたちは恵まれている。
…と断言したくなるほど、指導環境は進化した。
- 屋内競技場には大型送風機と冷却設備
- 練習中に30分ごとの水分・塩分補給
- 着替えタイムまで完備
当時の昭和っ子たちからすれば、
「マジかよ天国かよ」と叫びたくなるような環境だ。
だがそれでも、昔の“水飲むな”教育を受けた大人が、
「俺の時代はもっと厳しかったぞ」と言い出す場面は少なくない──
【まとめ】「水を飲むな」は、時代の湿度と熱量の象徴だった
昭和の「水を飲むな」指導は、単なる非科学的暴論ではなく、
気候・食事・文化・教育思想が生み出した“産物”だった。
それは“今となってはおかしい”と笑われるが、
当時の「常識」であり、「体育」の核心だった。
そして現在──
私たちは、ただ「昔はおかしかった」と断罪するのではなく、
どうしてそれが信じられていたのかを知ることで、
よりよい教育と環境づくりのヒントにしていけるはずだ。

「水を飲める今に感謝しつつ、あの時代の“乾いた美学”にも一滴だけ敬意を注ぐブー!」
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