山瀬まみ、子宮体がんと脳梗塞──「がんは治ったのに」手術後に襲った合併症と奇跡の回復

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「私、がんだったんだ。」

2025年10月、7か月ぶりにラジオに復帰した山瀬まみは、冒頭から穏やかな声でそう切り出した。
お茶の間を長年明るく照らしてきたその声が、まさか一時は失われかけていたとは、誰が想像しただろうか。

彼女を襲ったのは子宮体がん
手術は成功し、すべてが順調に見えたその矢先、山瀬の体に再び異変が起きた。
意識が戻らない。──その原因は、がん患者に起こりうる合併症「トルソー症候群」による脳梗塞だった。

手術室からICU、そしてリハビリ病棟へ。
言葉を失いながらも、もう一度“声”を取り戻していくまでの数か月。
山瀬はそのすべてを、決してセンセーショナルではなく、「普通のことのように」淡々と語った。

この記事では、彼女の語った実際の闘病経緯をもとに、
がんと血栓の関係、そして“伝える人”として再び声を取り戻した山瀬まみの姿を、
医学的視点とともに辿る。


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第1章:手術は成功──しかし、予期せぬ「脳梗塞」が待っていた

2025年春。
山瀬まみは、医師から「子宮体がん」と診断を受けた。
番組の休養に入ったのはこの治療のためであり、同年初夏、全摘出手術(子宮・卵巣・リンパ節の摘出)を受けたことを本人が明かしている。

手術そのものは成功。
医師の説明でも「きれいに取り切れた」と伝えられ、家族も胸をなで下ろしたという。
しかしその直後、思いもよらぬ事態が起こる。
麻酔から覚めない──。

手術後、しばらくしても意識が戻らず、検査の結果、脳梗塞を発症していたことが判明した。

本人によると、これは「トルソー症候群(Trousseau’s syndrome)」と呼ばれる、がん患者に起きやすい合併症が原因だった可能性が高いという。

この症候群は、がんが血液の凝固を促進し、血栓ができやすくなることで、脳や肺などに血の塊が詰まってしまう。

つまり──
がんは治ったにもかかわらず、その「影響」で新たな命の危機を招いたのである。

山瀬は手術後、集中治療室(ICU)での管理下に置かれた。

本人の発言では、この期間中の記憶はほとんど残っておらず、医師から「言葉は二度と話せないかもしれない」と家族に告げられていたという。
それほどまでに脳へのダメージが深刻だった。

だが、そこから彼女の“再生の時間”が始まった。


第2章:失われた言葉を取り戻す──リハビリの日々と「声」の再生

集中治療室から一般病棟へと移るまでに、山瀬まみは相当な時間を要した。
意識が戻った当初は、言葉が出ない・食事がとれない・体が思うように動かない──。

本人は「最初は何も覚えていない」と語り、家族も「もう話せないかもしれない」と告げられていたという。

それでも、山瀬は少しずつ言葉を発し、リハビリを重ねていった。
脳梗塞による運動性失語(発語障害)や嚥下障害は、発症初期では重い後遺症を残すこともあるが、彼女は数か月の集中的なリハビリを経て回復。

医師の想定を超えるスピードで、「声」を取り戻していった。

リハビリ内容は主に、

  • 発声訓練(スピーチセラピー)
  • 舌や口腔の運動訓練
  • 歩行・手足の協調運動回復
    といった、神経と筋肉の再連携を促すプログラム。

脳梗塞のリハビリは、脳の「可塑性(神経の再構築能力)」を生かすことが重要であり、早期の訓練が回復を左右する。

山瀬の場合、これが功を奏し、麻痺も言葉の障害も残らず復帰できるまでに至った。

彼女が再びラジオマイクの前に立ったのは、2025年10月。
約7か月の闘病期間を経て、声を届ける仕事に戻ってきた。

「しゃべれるようになって、ありがたいことに麻痺も残らなかった」

と、放送で穏やかに語るその姿には、医療の進歩と本人の努力が重なって見える。


第3章:トルソー症候群──がん患者を襲う“静かな血栓”

山瀬まみの脳梗塞は、手術中あるいは直後に発症したとされている。
その原因として本人が番組で言及したのが、「トルソー症候群(Trousseau’s syndrome)」

これは、がんが引き起こす血液凝固異常(血栓症)の一種であり、医療界では古くから知られる“静かなリスク”である。


■ がんと血栓──なぜ血が固まりやすくなるのか

がん細胞は、体内で増殖する過程で血小板を活性化し、血を固まりやすくしてしまう。

さらに、手術や麻酔による一時的な血流の停滞も、血栓形成の引き金となる。

その結果、血の塊(血栓)が脳や肺、心臓に飛び、

  • 脳梗塞
  • 肺塞栓症
  • 深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)
    などの重篤な症状を引き起こすことがある。

がんの種類では特に子宮体がん・卵巣がん・すい臓がんなどに多く見られ、
トルソー症候群は“見えない合併症”として術後管理で常に警戒されている。


■ 医学的には「治療成功後」の落とし穴

山瀬まみの場合、手術自体は成功しており、がんは「完全摘出」された。
それにもかかわらず脳梗塞が起きたのは、まさにこのトルソー症候群の典型例といえる。

がんが血液に残した“凝固体質”が麻酔・手術後の身体に影響し、
脳に血栓を飛ばしてしまったとみられる。

この現象は医療現場でも対策が難しく、
抗凝固薬の使用タイミングや投与量には慎重な判断が求められる。

「がんは治ったのに脳梗塞で倒れる」という事例は、
実は多くの医師が抱える臨床上のジレンマでもある。


■ 「見えないリスク」を伝える意義

山瀬まみの公表は、この病態の存在を多くの一般視聴者に知らしめる契機となった。
がん治療の成功=完治ではなく、術後の合併症を含めた全身管理が重要であること。

そして、がんと血栓の関係を理解することが、命を守ることにつながる。


第4章:沈黙の7か月を経て──「伝える人」が伝えたかったこと

ラジオ番組『it!!』(BAYFM)に、約7か月ぶりに戻ってきた山瀬まみ。
復帰放送の冒頭で彼女は、明るい声でこう切り出した。

「私、がんだったんだ。」

それは、飾り気のない率直な言葉だった。
重い病を経験したことを“ネタ”のように軽やかに話す姿に、
リスナーたちは驚き、そして安堵した。


■ “しゃべれること”が、リハビリの終着点

山瀬が選んだ「公表の場」は、テレビではなく、ラジオだった。

それは、長年彼女が「声」で人とつながってきたメディア。
言葉を失った人間が再びマイクの前に立つということ──。

それは単なる復帰ではなく、「自分を取り戻す儀式」に近い。

「しゃべれるようになって、ありがたいことに麻痺も残らなかった。」

番組でそう語った彼女の声は、7か月前と変わらぬ明るさを帯びていた。
だが、その裏には、ICUから始まったリハビリの日々があった。

“伝える人”が、もう一度“伝える力”を取り戻すまでの道のりだったのだ。


■ 「公表」ではなく「共有」という姿勢

今回の病状公表で印象的なのは、山瀬が“重病の暴露”のようには語らなかった点だ。
悲壮感を漂わせるでもなく、センセーショナルに装うでもなく、
あくまで自然体で「自分に起こった出来事」として語っている。

これは、彼女が長年テレビやラジオで培ってきた、
「日常を明るく伝える」スタイルの延長線上にある。

病気を“特別な事件”にせず、“誰の身にも起こりうること”として語る──

それは、結果的に多くの人にとっての“心の処方箋”となった。


■ 声の復活が意味するもの

山瀬まみは、かつてバラエティ番組で誰よりも「リアクション」を大切にしてきたタレントだ。
彼女の存在はいつも、笑いと驚きの間にあった。
その彼女が「声を失い」「声を取り戻した」。
その事実そのものが、メディアの象徴的なストーリーになっている。

人は、声を通して世界とつながる。
声を失うことは、世界を失うことでもある。
そして、声を取り戻すことは──再び世界に帰ってくることだ。


まとめ:命を笑顔で語るという勇気

「がんは治ったのに、脳梗塞になっちゃってね」

そう軽やかに笑う彼女の言葉の裏に、
どれほどの不安と苦痛、そして努力があったか。

だが彼女は、それを“笑い”で包んで放送に乗せた。
それが山瀬まみという人間であり、
“命を語ること”を、ユーモアで昇華したひとりの表現者なのだ。


  • 山瀬まみは子宮体がん手術後のトルソー症候群による脳梗塞を発症
  • ICU治療とリハビリを経て言語・身体機能ともに回復
  • 公表は「報告」ではなく「共有」という姿勢で行われた
  • 「声」を取り戻すまでの過程が、メディアの象徴的ドキュメントとなった

ブクブー
ブクブー

「“しゃべる”って、あたりまえのことに思えるけど、
ほんとは“生きる”ことと同じくらい尊いことなんだブー…!」

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