「人のために走る」──その姿に、誰もが一度は胸を打たれたことがあるかもしれない。
けれど、“災害級の暑さ”が予告される2025年の日本列島で、果たしてそれは本当に“美談”で済むのだろうか?
40℃に迫る猛暑の中、24時間テレビのチャリティーマラソンは今年も行われる。
走るのは、支援の思いを背負った横山裕さん。
彼の強い意志と覚悟は確かにある――
でも、それだけで片づけてしまっていい問題なのか。
いま一度、“走る意味”と“走らせる意味”を問い直す必要があるのではないだろうか。
■ 2025年夏、日本列島は“災害級の暑さ”とともにある
8月30日・31日──
関東から九州にかけて、気温40℃超えの危険な暑さが再び予想されている。
東京都心では猛暑日が記録的に続き、名古屋市では最高気温40℃の予報も。
気象庁は「災害級の暑さ」と明言し、無理な外出を控えるよう呼びかけている。
そんな最中、今年も「24時間テレビ」の季節がやってきた。
国民的チャリティー番組の代名詞でもある、あの“マラソン企画”とともに──。
■ チャリティーマラソン × 猛暑=矛盾?
番組公式サイトにはこう記されている。
「休憩の入れ方に万全を期し、ランナーとスタッフの健康に最大限配慮しております。」
だが──
最高気温が40℃に達するかもしれない中で、
“走ること”を前提とした企画をテレビで放送することに、
本当に社会的な意義と倫理的な説得力はあるのだろうか?
■ 走るのは「善意」か「演出」か?
今年のチャリティーランナーは、SUPER EIGHTの横山裕さん(44)。
彼は番組前の取材で、こう語っている。
「実際に施設で子どもたちがテレビを囲んでいるのを見て、『俺が走る意味、ある』と思いました。」
過去に弟が過ごした児童養護施設を訪れ、支援の必要性を実感したという。
その背景には、“自分自身の過去”と向き合う個人的な物語がある。
それでも──
それが「真夏に走ること」でなければ、ダメだったのだろうか?
■ 番組の伝統と「変えられない空気」
24時間テレビのマラソン企画は、長年続く“夏の風物詩”とも言える存在。
視聴者は“走る姿”に涙し、感動し、応援する。
そこには疑いようのない善意がある。
だが同時に、「走ること」自体が演出としてパッケージ化され、
「やらなければならない空気」に支配されていないだろうか?
■ “支援”と“安全”はトレードオフではない
「支援したい」という想いと、「暑さから命を守る」ことは、両立してしかるべきである。
- 40℃の気温
- アスファルトの照り返し
- スタッフや観衆の熱中症リスク
- SNSを通じた“無言の同調圧力”
もはやこれは、“善意”ではなく“耐久”の領域ではないか?

「チャリティーって、“つらさ”と“尊さ”がセットじゃないといけないブー?
だれかのために走る気持ちは素晴らしい。でも、本当に守られるべき命って、
それはランナー自身の命でもあるんじゃないかブー?
涙より、まず水と日陰だブー…」
【まとめ】「走る意味」ではなく、「走らせる意味」を問う時期に来ている
- 2025年8月末、再び40℃超の“災害級の猛暑”が予報されている
- 24時間テレビのチャリティーマラソンはその中で予定通り実施へ
- ランナー・横山裕さんは強い意志で走ることを選択
- だが、企画の構造は“支援と演出”の境界を曖昧にしている
「走ること」より、「支えること」──
感動より、共感と安全を重視するチャリティーのかたちが、
今こそ問われている。
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