「働」の字は中国製ではなかった?──日本生まれの漢字“国字”が、本家へ逆輸入された謎

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我々が日常的に使う漢字。その起源が古代中国にあることは広く知られている。紀元前10世紀頃の殷で生まれたとされるその文字体系は、やがて日本へと伝播し、我々の言語文化の根幹を成してきた。

しかし、もし我々が「仕事」を意味して当たり前のように使っている「働」というこの基本的な漢字が、実は本家である中国生まれではなく、日本で創作されたオリジナルの漢字(国字)であったとしたら。そしてさらに、その日本生まれの漢字が時を経て本家である中国へと“逆輸入”され、現在も使われているとしたら。

本稿は、この「働」という一文字に秘められた数奇な運命を紐解き、日本と中国の間で繰り広げられた奥深い文字と文化の交流の歴史に迫るレポートである。



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第一章:「働」の誕生──明治日本が求めた“新しい仕事”の形

「働」という漢字は、日本で独自に作られた「国字(または和製漢字)」の一つである。

  • 国字とは何か?
    • 国字とは、中国から伝わった漢字の構造(部首の組み合わせなど)に倣い、日本で独自に作られた漢字のことを指す。「峠(とうげ)」や「榊(さかき)」、「畑(はたけ)」などがその代表例である。
  • 「働」の誕生と普及の背景
    • 「働」という字が作られたのは鎌倉時代から室町時代にかけてとされている。しかしこの字が一般的に広く使われるようになったのは、明治時代に入ってからであった。
    • その背景には産業革命以降の社会構造の劇的な変化がある。欧米から新しい産業や技術が流入する中で、「labor」や「work」といった西洋的な「労働」の概念を翻訳する必要に迫られたのだ。
  • なぜ「動」ではダメだったのか?
    • それまで似た意味で使われていた「動」という漢字は、元々農具などを「うごかす」といった農耕中心の社会における身体的な動作を強く意味していた。
    • しかし工場で機械を動かし、組織的に仕事をするという新しい「労働」の概念には、この「動」という字ではニュアンスが合わない。そこで「人(にんべん)」が主体的に「動く」ことを示す「働」という国字が、この新しい時代の「仕事」を表す文字として広く採用され、普及していったのである。
ブクブー
ブクブー

「ええーっ!?僕たちが毎日使ってる『働く』って漢字、日本で作られた“国字”だったんだブー!?てっきり、全部、中国から来たものだと思ってたんだブー!しかも、明治時代に広まったなんて、意外と、最近の話なんだブーね!」

POINT

なぜ「動」では、ダメだったのか?

  • 「動」が意味するもの: 農具などを「うごかす」といった、農耕社会における、身体的な“動作”のニュアンスが強かった。
  • 「働」が意味するもの: 工場で機械を動かし、組織的に仕事をする、という近代的な「労働」の概念。“人”が主体的に“動く”ことを示す、この新しい国字が、時代の要請に応えた。

第二章:本家への“凱旋”──なぜ中国は「働」を受け入れたのか

そして20世紀に入ると、この日本生まれの「働」は本家であるはずの中国大陸へと渡り、使われるようになる。

  • 近代化を急ぐ中国と日本の“先行事例”
    • 当時の中国もまた、西洋の新しい概念や科学技術を取り入れ、近代化を急いでいた。
    • その際、既に明治維新を経て膨大な量の西洋語の翻訳を先行して成し遂げていた日本の語彙や漢字が、非常に有用な参考資料となった。
  • 「働」だけではない、逆輸入された国字
    • 「働」の他にも、日本で作られた国字が中国に逆輸入された例は存在する。その代表格が「腺(せん)」である。
    • これは江戸時代の蘭学者、宇田川玄真がオランダ語の「klier(腺)」を翻訳する際に、「身体(にくづき)」にあって分泌物が「泉」のように湧き出るものとして創作した国字だ。この極めて優れた造語は、後に中国にも取り入れられた。

第三章:文字だけではない、言葉の“大逆流”──“和製漢語”という巨大な潮流

実はこの「逆輸入」の現象は、「働」や「腺」といった個別の漢字(国字)に留まるものではなかった。より大きな潮流として「和製漢語」、すなわち日本人が西洋の概念を翻訳するために既存の漢字を組み合わせて作った新しい「言葉」の、大規模な中国への“逆流”が存在した。

  • 現代中国語に深く根付く“和製漢語”
    • 我々が当たり前に使っている以下の言葉の多くは、実は明治時代の日本人が西洋語を翻訳するために作り出した和製漢語である。そしてこれらの言葉は現在、中国語においても全く同じ意味で日常的に使われている。
分野和製漢語の例
社会・人文科学社会、哲学、歴史、自由、民主主義、共産主義、経済、資本
自然科学科学、物理、化学、分子、原子、質量、温度
その他電話、写真、芸術、雑誌、演説、鉄道、噸(トン)
ブクブー
ブクブー

「うわーっ!『社会』も『科学』も『電話』も、みーんな日本生まれだったんだブーか!なんだか、明治時代の人たちの“翻訳力”って、ものすごかったんだブーね!本家も、それを使ってるなんて、すごいことだブー!」


終章:文字が映し出す、文化の“還流”

結論として「働」という一文字は、単なる珍しい「逆輸入漢字」ではなかった。
それは日本の近代化の過程で新しい社会の要請に応えるために生まれ、そしてその知的な成果が本家である中国の近代化をも支えたという、ダイナミックな文化交流の象徴だったのである。

漢字の伝播は決して中国から日本への一方通行の流れではなかった。
時代が変われば、文化は還流する。

「働」という我々の日常に深く根差したその一文字は、言葉というものがいかに歴史と社会の変化を敏感に映し出す鏡であるかということを、静かにそして雄弁に物語っているのだ。

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