日本の首都はどこか。我々現代人は何の疑いもなく「東京」と答えるだろう。そしてその前は「京都」であったことも誰もが知る歴史の常識だ。
しかしもしその常識が、ほんの少しの歴史の歯車の違いで全く別のものになっていたとしたら。そして我々が今「大阪」を日本の首都として認識していた可能性があったとしたら。
これは単なる空想ではない。明治維新のまさにその直後、新政府の中枢で日本の新しい首都を「大阪」に定めるという計画が、極めて真剣に議論されていたという動かぬ事実が存在するのだ。
本稿は、この歴史の教科書ではほとんど語られることのない「幻の大阪遷都計画」の真相に迫り、なぜその計画が生まれ、そしてなぜ最終的に葬り去られたのか。その背景にあった一人の郵便制度の父の慧眼(けいがん)と、新政府のしたたかな政治的計算を解き明かすレポートである。
第一章:なぜ「大阪」だったのか?──大久保利通が描いた新時代の“青写真”
慶応4年(1868年)、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍に勝利した明治新政府。その中心人物であった大久保利通は、来るべき新しい時代の象徴として千年の都、京都からの「遷都」を強く主張した。
そして彼が最初の候補地として名を挙げたのが「江戸」ではなく「大阪」であった。

- 大久保の狙い
- 大久保は新政府のトップである有栖川宮熾仁親王に対し、「人々に新しい時代が始まったことを知らせるため、大阪に遷都するべきです」と進言した。
- 彼の狙いは明確だった。古いしきたりと保守的な公家たちに縛られた京都から天皇を物理的に引き剥がし、新しい近代国家の象徴として君臨させること。
- そしてその舞台として古くから「天下の台所」と呼ばれ経済活動が活発で進取の気性に富んだ商業都市「大阪」こそが、最もふさわしいと考えたのだ。

「なるほどだブー!新しい国を作るには古い都じゃダメだって大久保さんは考えたんだブーね!だから商人の街、大阪に首都を移そうとしたんだブーか!すごい大胆なアイデアだブー!」
第二章:幻に終わった遷都計画──二つの強力な“逆風”
しかしこの大久保の壮大な大阪遷都計画は、二つの強力な反対意見の前に頓挫(とんざ)することになる。

- 逆風①:京都の人々の猛反対
- 「大政が奉還された以上、再び京都が日本の中心になるはずだ」。
- そう信じていた京都の市民や公家たちにとって、大阪への遷都は到底受け入れがたい裏切り行為であった。彼らはこの計画に猛烈に反対した。
- 逆風②:前島密という“もう一人の天才”の登場
- そしてこの計画に最終的なとどめを刺したのが、当時まだ若き官僚であった前島密(まえじまひそか)、後の「日本郵便の父」である。
- 彼は大久保に対し、「大阪」ではなく「江戸」こそが新時代の首都にふさわしいと、驚くべき先見性に満ちた意見書を提出したのだ。
第三章:前島密が示した「江戸」の圧倒的なアドバンテージ
前島密が主張した江戸遷都論。そのロジックはあまりにも合理的で、そして説得力に満ちていた。

- 前島の主張①:北の開拓と防衛
- 「将来日本の最大の課題となるのは、ロシアの南下政策に対抗するための蝦夷地(北海道)の開拓である。そのためには地理的に近い江戸を首都とすべきだ」。
- 前島の主張②:圧倒的なコストパフォーマンス
- 「江戸には旧幕府が残した数多くの大名屋敷が存在する。これらを転用すれば新しい政府の庁舎や役人の宿舎、学校などを建設する余分な費用が一切かからない」。
- 前島の主張③:人心の掌握
- 「江戸には100万を超える人々が暮らしている。彼らの心はまだ旧幕府に傾いている。天皇が自ら江戸に移りその地を首都と宣言することこそが、彼らの心を掴み新政府の基盤を安定させる最善の策である」。
このあまりにも完璧なプレゼンテーションを前に、大久保利通も自らの大阪遷都案を撤回。江戸をそのまま首都とすることに同意したのである。

「うわーっ!前島さん、すごすぎるんだブー!未来の北海道のことまで考えてたなんて…!しかもお金もかからなくて江戸の人々の心も掴めるなんて、完璧なプランじゃないかブー!大久保さんもぐうの音も出なかったんだブーね!」
終章:歴史のif
結論として日本の首都が大阪にならなかったのは、
京都の人々の強い抵抗と、
そして何よりも前島密という一人の天才官僚が提示した、江戸の圧倒的な地理的、経済的、そして政治的な合理性の前に、大久保利通がその決断を翻したからであった。
ちなみに遷都に反対する京都の人々を鎮めるため、新政府は税金の一部免除と15万両という巨額の産業基金を設立したという、現実的な落としどころも用意されていた。
もしあの時、前島密の意見書がなければ。
日本の歴史は少しだけ違う形をしていたのかもしれない。
我々は今、大阪城の天守閣を国会議事堂として眺めていた可能性もゼロではなかったのだ。



コメント