ムンクの「叫び」は“叫んで”いなかった?──世紀の絵画に隠された、知られざる“本当の意味”

芸術
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血のように真っ赤な夕焼けと不気味にうねるフィヨルド。その中央で両手で耳を塞ぎ、まるで絶叫しているかのような歪んだ顔の人物。

ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンクの代表作『叫び』。

この美術の教科書で誰もが一度は目にしたことのあるあまりにも有名な絵画。しかし我々のその「常識」が、実は100年以上にもわたる壮大な“誤解”に基づいていたとしたら。

本稿は、この世紀の名画に隠された知られざる「本当の意味」を、ムンク自身が遺した言葉を手がかりに解き明かすレポートである。

結論から言えばあの人物は叫んでいるのではない。むしろその逆だったのだ。


第一章:ムンク自身が遺した“答え”

この絵画の本当の意味を解き明かすための最も重要な手がかり。それはムンク自身がこの作品を描くきっかけとなった、ある日の強烈な体験について日記(あるいは詩)に書き遺した一節にある。

「私は二人の友人と道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血のような赤に変わった。
私は立ち止まり、疲れ果て、柵にもたれかかった。
青黒いフィヨルドと街の向こうに、血と炎の舌が伸びていた。
友人たちは歩き続けたが、私はそこに立ち尽くし、不安に震えていた。
そして私は自然を貫く、果てしない叫びを聴いた


第二章:叫んでいるのは「人物」ではなく「自然」だった

このムンク自身の言葉が全てを物語っている。

  • 叫んでいたのは誰か?
    • 絵の中のあの人物が叫んでいたのではない。
    • 叫んでいたのは彼を取り巻く夕焼けの空、うねるフィヨルド、すなわち「自然そのもの」だったのである。
  • ではあの人物は何をしていたのか?
    • 絵の中のあの人物は、その天地を引き裂くかのような自然の果てしない叫び声(幻聴)を聴いてしまい、そのあまりの恐怖に耐えきれず、思わず両手で耳を塞いでいる
    • その歪んだ顔は自らが発する絶叫の表情では決してなく、外部から聞こえてくる恐ろしい音におののく恐怖の表情だったのである。
ブクブー
ブクブー

「ええーっ!?そうだったんだブー!?あの人は叫んでたんじゃなくて、周りの景色の叫び声に怖くて耳をふさいでただけだったんだブーか!100年以上もずっと勘違いしてたなんて…!衝撃の事実なんだブー!」

POINT

ムンクの「叫び」、その主語の大逆転

  • 我々の誤解: 絵の中の人物が叫んでいる
  • ムンクが描いた真実: 自然(空やフィヨルド)が叫んでいるのを人物が聴いてしまい、そのあまりの恐怖に耳を塞いでいる

第三章:なぜ5度も同じ絵を描いたのか

ムンクはその生涯にわたり、この『叫び』という同じ構図、同じタイトルの作品を油彩、パステル、リトグラフなど異なる手法で少なくとも5点以上制作している。

なぜ彼はこれほどまでにこの一つのテーマに固執したのだろうか。
それはこの幻覚にも似た強烈な体験が彼個人の不安や恐怖を超え、近代化の中で人間が抱える実存的な孤独や絶望といった、普遍的な感情の象徴であると彼が確信していたからに他ならない。


終章:100年越しの静かなる“聴衆”

結論としてムンクの『叫び』は、我々がこれまで信じてきたような「一人の人間の内なる叫び」を描いた絵画ではなかった。

それは「雄大な自然が発する恐ろしい叫びに、ただ一人耐え耳を塞ぐ無力な人間の姿」を描いた物語だったのである。

この美術史上最も有名な“誤解”。
しかしその誤解こそが我々鑑賞者を絵の中の人物と一体化させ、「これは自分の心の叫びだ」と感情移入させる装置として機能してきたという側面も否定はできない。

今、我々はようやく真実を知った。
我々はもはや叫ぶ者ではない。
我々はムンクと共にあのフィヨルドの道に立ち尽くし、自然の果てしない叫びを聴く静かなる“聴衆”となったのだ。

教養芸術雑学
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