「○○優勝!」「衆議院解散!」
そんな“歴史的な瞬間”が訪れた時、テレビに映し出されるのは、どこか荒々しく力強い“手書き風テロップ”。
普段は整然とした明朝体やゴシック体で表示される情報が、その時ばかりは、まるで感情がにじんだような筆跡で叫ばれる──。

「ブー……手書きって、なんか“熱いこと起きた感”あるブーよね…」
今回は、この“手書きテロップ文化”の謎に、NEWS OFF的視点で迫ります。
【1】「書いた」じゃなく「叫んだ」と伝わる手書き文字
手書きには、明確に“情動”が乗る。筆圧、線の跳ね、インクの強弱── それら全てが、情報というより「気持ち」を伝えてくる。
たとえばプロ野球優勝の瞬間。 「○○、悲願の優勝!」というテロップが、荒々しく力強い手書き風でドンと画面いっぱいに現れる。
その瞬間、視聴者は「優勝したんだ」ではなく、 「うおおお、優勝したァァァァ!!!」という熱気の渦を感じてしまうのだ。

「ブクブーも、あれ見ると“ただ事じゃない”って感じるブー!」
【2】なぜ“この瞬間だけ”手書きになるのか?
手書きテロップが使われる場面には、共通点がある。
- 衆議院解散の瞬間
- 芸能人の訃報
- 大物アーティストの引退発表
- プロ野球の日本一決定
- 大地震や国家的緊急事態(※初報時など)
これらに共通するのは、「日常の枠を越える瞬間」であること。
つまり手書きは、ただの速報ではなく、
【3】デジタル全盛の中、なぜ“手書き風”が選ばれるのか?
いまやテレビのテロップは、数千種類以上のフォントから選べる時代。 にもかかわらず、なぜ「わざわざ手書き風」にするのか?
- 急報性を伝えたい
- 衝撃の大きさを視覚的に訴えたい
- スタッフの“魂”や“共感”をにじませたい

「デジタルの中に、急に“人の手の温度”が入ってくる感じブー…」
【4】視聴者は、手書きに“本気”を感じ取る
SNSで手書きのノートがバズったり、 街の手書き標語が妙に刺さったり──
人は、無意識に「直筆=本気」と感じる。
- タイピングされた文章にはない“生身の緊張感”
- 書いた人の“感情の波”がそのまま反映された線
テレビも同じ。
【5】NEWS OFF的“手書きテロップ論”──それは“OFF”の表現である
普段は整ったフォントで構成されたテレビ画面。 そこに突然放り込まれる、乱れた手書きの文字。
NEWS OFF的に言えば、
そして視聴者にとっても、
読まずとも、手書きテロップが出た瞬間、何か起きたのだろうと感じられるからだ。
整いすぎた世界に、急に滲み出る“生の感情”。 それこそが、手書きテロップの本質だ。
【まとめ】
手書きテロップは、ただの演出ではない。 それはテレビが、機械的な報道からいったん“人間”に戻るための、一瞬の逆流である。
次にもし、テレビ画面にあの荒々しい筆跡が現れたなら──
あなたの目の前で、“時代が静かに動いた”というサインなのかもしれない。

「手書きって、情報じゃなくて“空気”ごと伝えてくるブーね……」
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