青信号なのに“緑”じゃない?青のりはどう見ても“緑”だし、青葉は“みどり”の象徴。なのに、なぜ日本語ではこれらを“青”と呼ぶのか──?
この素朴な疑問は、実は日本語と文化の深層を掘り当てる鍵である。
今回はブクブーと一緒に、日本語における“青”と“緑”のミステリーをひもといてみよう。
【1】「青信号」はなぜ“青”?──信号と法律の不思議
まずは最もポピュラーな例、信号機から。
日本の道路交通法では、進めの信号は明確に「青信号」と記載されている。
この違和感、なぜ生まれるのか?

「ブゥ…青っていうには、ちょっと草っぽい色してるブー」
実は、日本に信号機が導入されたのは昭和初期。当時の言語感覚では“緑”を単独の色として捉えるより、
という文化的背景があった。そのため、法律用語としても“青信号”が定着したままなのだ。
【2】“緑”が“青”と呼ばれていた時代
実は、日本語にはもともと「緑」という色名が存在していなかった。
奈良〜平安時代の文献を見ると、草や葉の色も「青」と表現されていた。
青葉=若葉や新緑
つまり“青”は、
として使われていたのだ。

「今でいう“寒色系”みたいな大ざっぱさブー」
江戸時代以降、染色技術や顔料の発達とともに“緑”が色として独立していったが、
【3】青のり・青リンゴ・青野菜…そのまま“緑”なんですけど?
他にも私たちの身近には“緑なのに青”があふれている。
- 青のり(緑色の海藻)
- 青リンゴ(黄緑の品種)
- 青野菜(ほうれん草や小松菜)
これらもすべて、昔の“緑=青”時代の名残だ。
という“認知のズレ”が生きた化石のように残っているのだ。
【4】世界と比べると、日本語の色彩感覚はどう違う?
興味深いのは、
英語では青(blue)と緑(green)は完全に別の色。だが、モンゴル語やロシア語でも“緑”を“青”の延長線で捉える表現が見られる。
つまり日本語の色彩認知は、
とも言える。

「国によって“色の数え方”が違うなんて、不思議ブー」
【5】子どもの絵に見る“青=緑”の名残
実際、幼児がクレヨンで描く“信号”を見てみると、
これは、大人よりも色を“カテゴリ”で覚えるため、
という面白い現象を示している。
文化的な刷り込みが色彩認知に及ぼす影響を、子どもの表現は如実に物語っているのだ。
【まとめ】
日本語の“青”は、単なる色名ではない。それは、文化・歴史・認知のミルフィーユが積み重なった“言葉の文化財”なのだ。
「緑なのに青」
その違和感にツッコミを入れること自体が、色彩と言語の“文化交差点”に立つことにほかならない。

「信号が青でも、青くはない。でも、青じゃないと落ち着かないブー」
そんな“見えてるのに言えない”不思議な感覚こそ、日本語の美しさなのかもしれない。
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