【道交法改正2026】自転車の歩道走行「違反だけどセーフ?」──“実質黙認”の理由とは

社会
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2026年4月、道路交通法の改正により、自転車にも「青切符制度」が導入されることになった。
これまでの“口頭注意”から一歩踏み込み、「反則金」の対象とするこの新制度。導入に際し、警察庁が実施したパブリックコメントには約6000件もの意見が寄せられた。

その7割以上を占めたのが──
「自転車の歩道通行」に関する声だった。

一体なぜこれほどまでに注目を集めたのか?
そして、それに対する警察庁の“意外な答え”とは?


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第1章:「違反です、でも取り締まりません」

警察庁が示したのは、ある意味で衝撃的な方針だった。

「単に歩道を通行しているといった違反については、これまでと同様に、通常『指導警告』が行われます。
青切符の導入後も、基本的に取締りの対象となることはありません」

要するに──
歩道を走っても、原則「見逃します」ということ。

もちろん、スピードを出して歩行者に危害を及ぼすなど“悪質性”が認められる場合は別だが、
通常の歩道走行についてはこれまで通り“注意のみ”で済ませる姿勢が貫かれるという。


第2章:では、なぜ「青切符制度」を導入するのか?

制度の目的は明快だ。

「危険な運転に対しては、明確な“ペナルティ”を与える必要がある」

スマホ操作、イヤホン装着、傘差し運転、無灯火、信号無視──
こうした事故リスクに直結する行為に対して、より実効性ある対応をするための制度なのだ。

しかし皮肉なことに──
最も目にする「歩道走行」は、違反でありながら基本スルーという実態が、
“選択的な取り締まり”への不信感につながりかねない。


第3章:歩道を走るな?現実を見よ。

そもそも自転車は、原則として車道通行が義務である。

…だが、その「車道」が、
そもそも走行に適していない場所が多すぎるのが現状だ。

  • 幅15センチにも満たない“自転車レーン”
  • 駐停車車両に塞がれる通行路
  • 追い越し車がギリギリをかすめていく恐怖
  • 高齢者・子ども・一般人が“命懸け”で走る構図

これらを前にして、
「車道走れ」と言われても、“選択肢としての歩道”は消せない


第4章:取り締まる?取り締まらない?──曖昧さを選んだ警察の“論理”

歩道を走ること自体は“条件付きで許される”場面もある。

  • 小学生以下、70歳以上、高齢者、身体の不自由な人
  • 車道の状況が著しく危険な場合(=幅が狭い・交通量が多い等)

しかし、これらを現場で逐一判断するのは困難だ。
警察庁もこう述べている。

「危険性が高い・悪質な行為を優先的に取り締まる」

つまり──

  • 徐行せずに歩行者を威圧するような走行
  • スマホ操作・逆走・イヤホン・無灯火など危険性の高い運転
  • 警察の指導を無視して同様の行為を続ける場合

このような明確な危険行為があったときのみ、切符を切る。
それ以外は、事実上“見逃す”というのが実態だ。


第5章:日本式「グレーの支配」──ルールと運用がねじれ続ける理由

ここで根本的な問いを立てたい。

なぜ日本は「ルールを守らせる」より、「グレーで曖昧に処理する」方向に傾くのか?

理由は多角的だが、以下のような構造がある。

  • 制度と現場の齟齬:「整備されていないのにルールだけ厳格」という倒錯
  • 市民との摩擦回避:「取り締まりすぎるとクレームの嵐」への恐れ
  • 柔軟性という美徳:「空気を読む」「ケースバイケース」に依存する文化
  • 法の設計の甘さ:スピード計測器もないのに「徐行しろ」とだけ言う曖昧さ

結果、日本の法は“例外だらけの原則”と化す。


第6章:「正しく怖がる」ための、自転車ユーザーの心得とは?

では我々はどうすればいいのか?

大切なのは、「取り締まられないから何してもいい」ではないという理解。

  • 歩道を通行するなら徐行・歩行者優先は絶対ルール
  • 逆走・スマホ・イヤホンなど自分も他人も危険に晒す行為はNG
  • 「怖い場所では降りて押す」ことも選択肢に
  • 自分の安全は自分で守る意識を

第7章:曖昧さに守られ、曖昧さに裏切られる──“無法でも自由でもない”自転車社会

歩道を走る自転車に対して、多くの歩行者は「怖い」と感じている
一方で自転車側は「怖いから歩道しか走れない」と言う。

このねじれた構図は、交通インフラの問題、教育の問題、そして行政の判断の問題──
すべてが複雑に絡み合って生まれている。

そして行政は、あえてこの“曖昧な矛盾”を抱えたまま前に進もうとしているのだ。

  • 「原則車道」
  • 「でも歩道もOK(ただし条件付き)」
  • 「でもその条件は現場判断」
  • 「でも判断は曖昧」
  • 「でも命がかかってる」

──この繰り返しが、今の日本の“自転車と法”の関係だ。

ルールはある。
でもそれを守るには、環境が未整備すぎる。
結果、誰もが「グレー」の中で身を守るしかない。
それが「見逃し文化」の本質なのかもしれない。

ブクブー
ブクブー

「ルールの正しさと、現実の生きやすさって、必ずしも一致しないんだブー…!でもそのズレを知っていれば、少なくとも“巻き込まれる”ことは減らせるブー!」


まとめ

  • 2026年4月より、自転車にも青切符制度が導入予定
  • 市民の関心は「歩道通行」に集中し、警察庁も方針を示す
  • 「歩道走行は違反だが、基本的に取り締まらない」方針を継続
  • 実態と制度のねじれは、行政・市民・インフラのすれ違いを象徴している
ブクブー
ブクブー

「見逃すなら最初から違反にしなきゃいいんじゃないかブー?
でも本当に取り締まり始めたら、今度は困る人が大勢いる気もするブー…
うーん、人と自転車の関係って、まるでギリギリの綱渡りだブーね!」

社会
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