1929年。この年に生まれた二人の少女は、全く別の人生を歩んだかのように我々の目には映る。
一人は世界で最も愛された永遠の妖精、オードリー・ヘップバーン。
そしてもう一人は、ホロコーストの悲劇を象徴する日記の少女、アンネ・フランク。
しかしこの二人の人生の線路は、実は驚くほど近く、そして残酷なほど似通った場所を走っていた。
なぜオードリーは彼女のキャリアにおける最大のオファーの一つであったはずの「アンネ・フランク役」を、生涯頑なに拒み続けたのか。
その理由は単なる謙遜ではない。彼女の魂に深く、そして決して消えることのない傷跡として刻み込まれた、あまりにも重なりすぎる過去にあった。
第一章:わずか60kmの距離で、見ていた“同じ地獄”
第二次世界大戦中、この二人の少女は同じ国、ナチス・ドイツ占領下のオランダにいた。

- 近すぎる二つの運命
- アンネ・フランクがアムステルダムの隠れ家で息を潜めあの日記を綴っていた頃、オードリー・ヘップバーンはそこからわずか60kmほどしか離れていないアーネムという街に母と共に身を寄せていた。電車であれば1時間もかからない距離である。
- 二人は同じ空の下で同じナチスの軍靴の音を聞き、同じ恐怖に震えていたのだ。
- 「飢餓の冬(Hunger Winter)」の共通体験
- 特に1944年から45年にかけての冬、いわゆる「飢餓の冬」は凄惨を極めた。連合国軍のマーケット・ガーデン作戦の失敗によりドイツ軍は報復として、オランダ西部への食糧供給を完全に遮断した。
- アンネが隠れ家で腐ったジャガイモに絶望していたまさにその時、オードリーもまた飢えをしのぐため雑草を茹で、そしてチューリップの球根をすり潰して作ったパンのようなものを食べて命を繋いでいた。
- 後年、銀幕の中で妖精のように華奢であったオードリーのそのあまりにも細い体型は、単なる美しさの象徴などではなく、この時期の極度の栄養失調が彼女の代謝機能に生涯影響を与え続けた結果であったとも言われている。

「ええーっ!?オードリーとアンネ・フランクって、そんなに近くにいたんだブーか!?しかも、二人とも同じ飢えの苦しみを味わってたなんて…。『ローマの休日』のあの笑顔の裏に、そんな壮絶な過去があったなんて知らなかったんだブー…。」
第二章:「彼女は、私だったかもしれない」──日記が抉った、心の傷
戦後、奇跡的に生き延びたオードリーは女優への道を歩み始める。一方でアンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所でチフスにより、15歳というあまりにも短い生涯を閉じた。

その後出版された『アンネの日記』をオードリーが初めて手にした時、彼女は雷に打たれたような衝撃を受ける。
「これは、私のことだ」
日記に生々しく記された恐怖、隠れ家での生活、そして銃殺される人々を目撃した記憶。それら全てがオードリー自身の戦争体験と、完全にそしてあまりにも痛々しく重なり合ったのだ。
彼女は後にこう語っている。
「私はアンネ・フランクと同じ戦争を見ていました。彼女が見た恐怖は私も見たものでした。(中略)その本を読んだ時、私は精神的に打ちのめされました」
と。

「うわー…。日記を読んだらそれは、生き残れなかった“もう一人の自分”の、物語みたいだったんだブーか…。あまりにも自分と重なりすぎて、心が壊れそうになっちゃったんだブーね…。それは辛すぎるんだブー…。」
第三章:決して、演じることが、できなかった役
ハリウッドでスターの座へと駆け上がったオードリーの元には、当然のように『アンネの日記』の映画化のオファーが舞い込んだ。

「同い年で同じオランダで戦争を経験したあなたこそが、アンネを演じるのに最も相応しい」と誰もが考えたのだ。原作者であるアンネの父オットー・フランクからも、直接の出演懇願があったとさえ言われている。
しかしオードリーはこれを生涯頑なに断り続けた。
その理由は二つあった。
一つは「あまりにも自分と重なりすぎて、感情的に演じることができない」という芸術家としての誠実さ。
そしてもう一つは「彼女の悲劇的な死を利用して、自分が女優として称賛を得ることは道徳的に耐えられない」という一人の人間としての深い倫理観だった。
彼女にとってアンネ・フランクは「演じるべき役柄」ではなかった。
運命の歯車が少しでも違っていれば「なっていたかもしれない、もう一人の自分自身」であり、あの地獄の中に置き去りにしてきてしまった「双子の魂」のような存在だったのだろう。
終章:44年目の“雪解け”と、果たされた、もう一つの“約束”
オードリーがアンネの影をその魂に背負い始めてから、長い長い年月が流れた1990年。
61歳になった彼女はついにその「日記」を公衆の前で開く決心をする。

- 「演じる」のではなく、「朗読する」という選択
- 場所はロンドンとアメリカで行われた、ユニセフ親善大使としてのチャリティコンサート。
- 彼女が選んだのはアンネを「演じる」ことではなかった。アンネの残した言葉をただひたすらに誠実に「朗読する」ことだった。
- 「私はアンネにはなれない。けれど彼女の遺した声を世界に届けることはできる」。そう言わんばかりにオードリーはあの日記の一節一節を、静かにそして力強く読み上げた。
- 二つの魂が一つになった瞬間
- その朗読会の収益金は全て、かつての自分たちと同じように戦争や飢餓、病に苦しむ世界中の子供たちのために寄付された。
- 1929年に生まれた二人の少女。
- 一人はそのあまりにも早すぎる死によって、平和への祈りを世界に問いかけた。
- そしてもう一人は生き延び銀幕のスターとなり、その人生の後半生を子供たちを救う活動に捧げた。
互いに全く違う道を歩んだかに見えた二つの魂は、半世紀近い時を経て「未来の子供たちを救う」というただ一点において、ついに一つに重なったのだ。
アンネ・フランクが夢見た平和への祈りは、生き残ったオードリー・ヘップバーンの声を通して、確かに世界へと響き渡ったのである。



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