手紙を出すその最後の仕上げ、切手の裏をぺろりとなめる。ほんのりと甘いような、あるいは無機質な化学薬品のような、あの独特の風味。多くの人が子どもの頃から何の気なしに繰り返してきたこの行為。
しかし冷静に考えれば、それは接着剤を直接口に入れていることに他ならない。「これ、体に害はないのだろうか?」と一抹の不安を覚えたことはないだろうか。
本稿は、この切手の裏に塗られたのりの「正体」とその「安全性」について、科学的な事実に基づき解き明かすレポートである。
そしてその物語は意外にも、日本が世界に誇るある「発明」へと繋がっていた。
第一章:のりの正体──かつての“天然由来”と、現代の“化学のり”
まず、我々がなめているあの物質が何であるかを正確に知る必要がある。

- 現代の切手のり:「ポリビニールアルコール(PVA)」
- 現在、日本の切手の裏のりに主成分として使われているのは「ポリビニールアルコール(通称:ポバール)」と呼ばれる水溶性の合成樹脂である。これは一般的に「化学のり」として知られているものだ。
- かつては天然由来の「アラビアガム」だった
- しかし歴史を遡ると、切手の裏のりは必ずしも化学製品ではなかった。かつて世界の多くの切手で主流だったのは「アラビアガム」という天然の成分だった。
- これはアフリカなどに自生するアカシアの木の樹液を乾燥させたもので、古くから食品の増粘剤(ガムシロップなど)や医薬品、絵の具の材料として使われてきた安全な天然樹脂である。

「ええーっ!?昔は木の樹液だったのに、今は化学のりになってるんだブー!?どっちも安全なんだブーか…?」
切手のりの新旧・成分比較
- 現代の切手のり: ポリビニールアルコール(PVA) = 化学のり
- かつての切手のり: アラビアガム = 天然樹脂(アカシアの木の樹液)
第二章:その安全性は?──「無害」という、公的なお墨付き
では、現代の主成分である「ポリビニールアルコール」の安全性はどうなのだろうか。

- 「無害」であるという検査結果
- この成分は日本食品分析センターによる検査で「無害」であると公式に確認されている。
- また製造メーカーで組織される酢ビ・ポバール工業会も、「食べるものではない」と前置きしつつも、その有毒性は極めて低いと説明している。
- 身の回りにあふれる「PVA」
- 実はポリビニールアルコール(PVA)は切手のり以外にも、我々のごく身近な製品に幅広く使われている。
- 医薬品: 錠剤をコーティングする糖衣。
- 化粧品: パックやローションの保湿成分。
- 日用品: 液体のり、洗濯のり、コンタクトレンズの装着液。
- これらの事実もまた、PVAが人体に対して極めて安全性の高い化学物質であることを裏付けている。
- 実はポリビニールアルコール(PVA)は切手のり以外にも、我々のごく身近な製品に幅広く使われている。

「よかったんだブー!お薬のコーティングとかにも使われてる安全なものだったんだブーね!これなら安心して、ぺろりできるんだブー!」
第三章:意外な繋がり──“なめるのり”が、“着る繊維”になるまで
この切手のりの物語には驚くべき続きがある。主成分であるポリビニールアルコールが、全く別の姿へと生まれ変わるのだ。

- 日本が世界で初めて工業化した合成繊維「ビニロン」
- ポリビニールアルコールは水に溶けやすいという性質を持つ。しかしこの性質を化学的な処理によって「水に溶けにくく」変化させ、それを原料にして紡いだ繊維。
- それこそが1939年に日本人によって発明され、日本で初めて工業化された唯一の国産合成繊維「ビニロン」なのである。
- 身近なビニロン製品
- ビニロンはその強度の高さと耐久性から、漁網やロープ、テント、そして学生服や作業着といった過酷な環境で使われる様々な製品の素材として、今もなお活躍している。
- つまり我々が切手の裏をなめるその行為は、巡り巡って日本の独創的な繊維技術の歴史の一端に触れる行為でもあったのだ。

「うわーっ!僕たちがなめてる“のり”が、姿を変えて漁師さんの網とか学生さんの服になってたんだブーか!すごい技術なんだブー!日本の発明だったなんて誇らしいんだブー!」
驚くべき化学の“変身”
- 原料: ポリビニールアルコール(PVA) = 切手のりの主成分
↓ (化学的な処理によって性質を変化させる) - 製品: 国産合成繊維「ビニロン」= 漁網や学生服の素材
終章:日常に潜む、テクノロジーとの、ささやかな“接触”
結論として切手の裏をなめる行為は、科学的に安全であると言って差し支えない。
そののりの正体は医薬品や化粧品にも使われる安全性の高い化学物質「ポリビニールアルコール」であった。
そしてその物質は姿を変え、我々の衣類や産業を支える国産合成繊維「ビニロン」へと繋がっていた。
一枚の小さな切手の裏側に隠されていた意外な科学と歴史の物語。
それは我々のありふれた日常が、いかに多くの知られざるテクノロジーによって支えられているかということを、静かに教えてくれるのである。



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