FC版『スペランカー』はなぜあんなにも弱い?──身長160cmの男が140cmの段差で死ぬ理由

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1985年12月、『スーパーマリオブラザーズ』の快進撃に沸く日本のファミコン市場に、一人の探検家が降り立った。彼の名はスペランカー。
マリオが自身の数倍の高さを跳躍し、敵を踏み潰すスーパーヒーローだとすれば、彼はあまりにも「人間」すぎた。

自分の身長ほどの高さから落ちれば即死。コウモリのフンに当たれば即死。ロープの途中から飛び降りれば即死。そのあまりの脆弱性は当時の子供たちに強烈なトラウマを植え付け、後年ネットスラングで「怪我をしやすい虚弱な人」を指す代名詞にまでなってしまった。

なぜ彼はこれほどまでに弱いのか。

その理由を探ると、そこには「14ドット」というあまりにも非情な数値設定と、アーケードゲーム開発者のストイックすぎるゲーム哲学が存在していた。


第一章:死の境界線は「14ドット」──身長より低い段差で死ぬ科学的理由

多くのプレイヤーが「自分の身長よりも低い段差で死ぬ」と嘆くが、これは決して感覚的な話ではない。それはプログラム上の極めて厳密な仕様である。

当時のゲーム解析によれば、ファミコン版における主人公の身長(スプライトの縦幅)は約16ドット
これに対しシステムが「落下による死亡」と判定する落下距離は「14ドット以上」に設定されている。

つまり彼は「自分の身長よりも低い高さ」から落ちただけで、着地することなく空中で死亡判定を受けているのだ。この現実世界の物理法則を完全に無視した逆転現象こそが、スペランカーを「最弱」たらしめている根本的な原因である。

この判定は極めて厳格で、例えば緩やかな坂道でジャンプをした際も、「ジャンプの頂点から着地点までの垂直方向の高低差」が14ドットを超えていれば即死となる。プレイヤーが「ただ坂道をジャンプして進もうとしただけ」でも、システムはそれを「致死高度からの落下」と冷徹に処理するのである。

ブクブー
ブクブー

「ええーっ!?そういうことだったんだブー!?自分の身長よりちょっと低いところから落ちただけで、死んじゃうようにプログラムされてたんだブーか!そりゃ、弱いわけだブー…。理不尽すぎるんだブー!」

POINT

スペランカーを殺す、冷徹な“数値”

  • 主人公の身長(ドット数): 約16ドット
  • 「落下死」と判定される高さ: 14ドット以上

第二章:死の分類学──洞窟は「死因」の見本市であった

しかし彼を襲うのは重力だけではない。このゲームの過酷な洞窟には、プレイヤーの精神を容赦なく削り取る多種多様な「死の罠」が張り巡されている。

  • 生物災害(バイオハザード)
    • 最も象徴的なのが「コウモリのフン」である。洞窟の上空を舞うコウモリが投下する、わずか数ドットの排泄物に触れただけで彼は即死する。探検家としての装備に身を包みながら小動物のフン一つに耐えられないという事実は、プレイヤーに強烈な無力感を植え付けた。
  • 自損事故(セルフ・キル)
    • 武器であるはずのアイテムも時に牙を剥く。岩を破壊するために設置した「ダイナマイト」の爆風判定は意外なほど広く、設置後に素早く安全な距離まで退避しなければ、自らの武器で爆死することになる。
  • エネルギー枯渇(ガス欠)
    • 画面上部にはエネルギーゲージが存在し時間と共に減少していく。しかし彼は「ただ移動するだけ」「ジャンプするだけ」、あるいは幽霊を撃退するための「空気銃を撃つだけ」でも、このエネルギーを激しく消耗する。
    • ただ生きているだけで生命力を削られ続け、ゲージが尽きればその場に崩れ落ちて死ぬ。これほどまでに「燃費の悪い」ヒーローは他に類を見ない。
ブクブー
ブクブー

「コウモリのうんちで死ぬなんて…。聞いたことないんだブー…。しかも、歩いてるだけで体力がなくなって死ぬなんて…。探検家、向いてないんだブー…。」

POINT

スペランカーを襲う、主な“死因”

  • 生物災害: コウモリのフンに触れただけで即死。
  • 自損事故: 自分で設置したダイナマイトの爆風で即死。
  • エネルギー枯渇: ただ歩いているだけでもエネルギーが減り続け、尽きると即死。

第三章:アーケードの流儀と、開発者の“確信犯的”な設計思想

ではなぜこのような理不尽とも思える仕様になったのか。単なるゲームバランスの調整ミスだったのだろうか。
否。それは開発を主導したスコット津村氏(当時のアイレム社)による、確信犯的な設計思想だった。

  • アーケードゲームのDNA
    • 当時アイレムの主戦場はゲームセンター(アーケード)であった。アーケードゲームはプレイヤーに次々と100円玉を投入してもらうため(インカムを上げるため)、適度な緊張感と短時間でゲームオーバーになるような高い難易度で作られるのが常識だった。
  • 「学習と克服」の達成感
    • 津村氏は、この「厳しさ」を家庭用ゲームであるファミコンにも持ち込んだ。彼は後のインタビューでこう語っている。
    • 「一度買ってしまえば長く遊べる家庭用ゲームで、簡単にクリアできてしまうのはプレイヤーの不満が残る」
    • 「試行錯誤し学習して、それを克服する達成感を味わってほしかった」と。
    • つまりあの理不尽なまでの数々の死は、単なる意地悪ではなく、プレイヤーに対する「学習と忍耐の要求」だったのである。

終章:弱さは「個性」となり、そして伝説へ

発売から40年近くが経過した今、スペランカーの「弱さ」を本気で批判する声はほとんどない。
むしろそのあまりの脆さは愛すべき「個性」として広く受け入れられ、『みんなでスペランカー』などのリメイク作品では「史上最弱の主人公」として、公式にネタにされるまでになった。

より強く、より華麗な肉体を持つヒーローが数多く現れては消えていくゲームの世界。
その中でスペランカー先生は、その「圧倒的な弱さ」ゆえに、逆説的に最も「死なない(忘れ去られない)」存在として我々の記憶に生き続けている。

彼が我々に教えてくれたのは、洞窟探検の厳しさと、そしてどんなに弱くとも何度でも立ち上がる(コンティニューする)ことの尊さだったのかもしれない。

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