子供の頃、公園の砂場や神社の境内。ふと足元に目をやると、そこには決まって色とりどりの小さなプラスチックの球が転がっていた。BB弾。それは我々の世代にとって、昭和から平成の放課後の風景の一部であった。
しかし大人になった今、我々はあの小さな落とし物をほとんど目にすることがない。
一体なぜなのか。
我々が大人になり視線が高くなったからか。それとも子供たちが集まる場所へ行かなくなったからか。
あるいは我々の知らないところで、社会そのものが大きく変化してしまったのか。
本稿は、この多くの人が漠然と抱いている「BB弾消滅の謎」の真相を、①社会の変化、②遊び方の変化、そして③BB弾そのものの進化という三つの側面から解き明かすレポートである。そしてその全ての始まりである、「BB弾」という言葉の意外な由来にも迫っていく。
第一章:「BB弾」の“BB”って何?──散弾銃の弾がそのルーツだった
まず全ての原点である「BB弾」という言葉の謎から解き明かそう。

- BBの本当の意味
- 「BB」とは特定の何かの略称ではない。これは散弾銃(ショットガン)で使われる鉛の弾(たま)の直径のサイズ規格に由来している。
- 鳥撃ちなどに使われる散弾のサイズには「BBB」や「BB」「B」といった規格があり、「BB」規格の弾は直径が約4.5mmであった。
- アメリカのおもちゃの銃から始まった
- 19世紀末、アメリカのデイジー社という会社がこの「BB」規格の鉛弾を発射できる空気銃を発売し大ヒットとなる。これが「BBガン」の始まりである。
- その後安全性の観点から鉛の弾はプラスチックの弾へと置き換えられていったが、「BBガン」という名称とそこで使われる弾を「BB弾」と呼ぶ習慣だけが、現代にまで受け継がれているのだ。
第二章:なぜBB弾は地面から消えたのか?
では本題である。なぜあれほどまでにどこにでも転がっていたBB弾を我々は見なくなったのだろうか。その理由は一つではない。複数の社会的な変化が複合的に絡み合った結果なのである。

- 理由①:遊ぶ「場所」と「ルール」がなくなった
- これが最も大きな理由である。かつて子供たちは公園や空き地で自由にエアガンを撃ち合って遊んでいた。
- しかし現代では安全性の観点からほとんどの公園や公共の場所でエアガンの使用は条例などによって禁止されている。
- また親や地域社会の目も厳しくなり、「子供が銃の形をしたおもちゃで遊ぶこと」そのものへの抵抗感が強まった。
- これにより子供たちが屋外で気軽にBB弾を撃つという光景そのものが激減したのだ。
- 理由②:遊び方が「サバゲー」へと進化した
- エアガンで遊ぶ文化が消えたわけではない。むしろそれはより専門的で組織化された「サバイバルゲーム(サバゲー)」という大人のホビーへと進化した。
- サバゲーは当然公園ではなく専用の有料フィールドで行われる。そこでは使用後のBB弾の清掃や管理も徹底されている。
- つまりエアガンで遊ぶという行為そのものが、公共の空間から閉鎖された私的な空間へと「移住」したのである。
- 理由③:BB弾そのものが「土に還る」ようになった
- そしてこれが決定的な物理的な理由だ。
- かつて我々が目にしていた色とりどりのBB弾は、自然界では分解されないプラスチック製であった。そのため一度地面に落ちれば何年何十年とそこに残り続けた。
- しかし環境問題への意識の高まりから、現在のサバゲーフィールドなどで主に使用されているのは「バイオBB弾」と呼ばれる特殊な弾である。
- これはトウモロコシなどを原料とした生分解性プラスチックで作られており、地面に落ちた後、土の中の微生物によって数年で自然に分解され土に還るのだ。
- つまり「落ちていない」のではなく「落ちてもやがて消える」ようになったのである。

「ええーっ!?そうだったんだブー!?公園で遊べなくなって、サバゲーっていう専門の遊びになって、しかも弾も土に還るようになってたんだブーか!僕たちが知らない間に、BB弾の世界はすごい進化を遂げてたんだブーね!」
終章:一つの時代の終わり
結論として我々が地面でBB弾を見かけなくなったのは、我々の視線が変わったからでは決してなかった。
それは、
- 公園などでエアガンを使うことが社会的に許されなくなったこと。
- エアガン遊びが「サバゲー」という専門的なフィールドへと移行したこと。
- そしてBB弾そのものが自然に分解される「バイオ弾」へと進化したこと。
という三つの大きな時代の変化が重なり合った、必然的な結果だったのである。
一つの小さなプラスチックの球。
しかしその消滅の物語は我々の社会がこの30年間で、いかに「安全性」や「環境」に対する意識を高め、そしてその代償として子供たちの遊び場から少しの「自由」と「無法地帯」が失われていったかという、一つの時代の終わりを静かに物語っているのかもしれない。



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