2026年1月1日、日本の放送界は一つの巨大な星を失った。元TBSアナウンサー、久米宏。肺がんのため、81年の生涯を閉じた。
その訃報は単なる一人の著名なキャスターの死を意味しない。それは日本のテレビジョンがその黎明期からインターネット時代へと移行する激動の中で、常にその中心に立ち、大衆と情報を繋ぐ最も重要な「声」であり続けた人物の喪失を意味する。
『ザ・ベストテン』で音楽番組を国民的祝祭へと昇華させ、『ニュースステーション』では報道番組の文法そのものを根底から書き換えた、稀代のコミュニケーター。
本稿は、彼が日本の放送史に残したあまりにも大きな功績と、その根底にあり続けた強烈な「反骨精神」、そして彼が最後まで貫いた「引き際の美学」を解き明かす、追悼レポートである。
第一章:TBS時代 ──「10円玉」と「チンピラ」の原点
久米宏というメディア史の特異点は、TBSへの入社試験の時点ですでにその萌芽を見せていた。

- 異端の入社試験と「10円玉」の伝説
- 1967年、多くのアナウンサー志望者が情緒的な美文で実況試験に挑む中、久米のアプローチは根本的に異なっていた。
- 試験会場に置かれた小道具の「赤電話」。他の受験生が架空の物語を実況する中、久米は黙って10円玉を取り出し、実際に電話をかけた。相手は実家の母親。「もしもし母さん?今TBSで入社試験を受けているんだけど…」。
- このエピソードは後の久米宏の放送哲学を象徴している。すなわち「虚構のフレーム(テレビ)」の中に「予期せぬリアリティ(日常)」を強引に持ち込む手法である。
- ラジオで培われた「チンピラ精神」
- 入社後の彼は決して順風満帆なエリートではなかった。ラジオ番組などでその話術を磨く過程で、組織や権威に対する反発心を醸成していく。
- 彼は後に自身を「チンピラ」と定義し、「業界に入った瞬間に嫌われることを覚悟した」「どうせチンピラなんだから嫌われようが殺されようが構わない」というニヒリズムを抱えていたことを吐露している。この「チンピラ精神」こそが、彼の言葉の根幹にある批評性と「毒」を生み出した。
第二章:バラエティでの言語革命──『ぴったしカン・カン』と「ほにゃらら」の発明
1975年から始まったクイズ番組『ぴったしカン・カン』で、久米は司会者としての地位を不動のものにした。

- 「ほにゃらら」という日本語の発明
- 現在では伏字や不明な部分を指す一般的な表現として定着している「ほにゃらら」。その起源は久米のアドリブにある。
- クイズの問題文にある「〇〇」という伏字部分を読み上げる際、彼は「まるまる」という無味乾燥な言葉の代わりに、ふにゃふにゃとした音感の「ほにゃらら」という言葉を発明した。
- この言葉が持つ脱力感と猥雑さは堅苦しいクイズ番組を「遊び場」に変える魔法の言葉として機能し、全国的に普及することとなった。
第三章:音楽番組の金字塔──『ザ・ベストテン』と“久米・黒柳”という奇跡
1978年にスタートした『ザ・ベストテン』は、日本の音楽番組史を「前・後」に分けるほどの社会現象となった。最高視聴率は実に41.9%。その核にあったのが、久米宏と黒柳徹子という二人の司会者の奇跡的な化学反応だった。

| 役割・要素 | 黒柳徹子 | 久米宏 |
|---|---|---|
| スタンス | 歌手への愛情、感情的な共感 | 冷静な分析、時間管理、視聴者へのツッコミ |
| トーク | 脈絡なく広がる自由な会話 | 論理的で鋭い切り返し、情報の整理 |
| 生放送対応 | ハプニングを楽しむ | ハプニングを笑いに変えつつ強引に進行を戻す |
黒柳の奔放で感情豊かなキャラクターに対し、久米は理知的でシニカル、そして時間を厳守する進行役として振る舞った。
この完璧な役割分担と対比が、秒単位で進行する生放送に「放送事故寸前」のスリルと極上の笑いを生み出したのである。

「なるほどだブー!あの二人のハラハラするやり取りこそが、『ザ・ベストテン』の一番の魅力だったんだブーね!黒柳さんの暴走を久米さんが必死に止める…。最高のコンビだったんだブー!」
『ザ・ベストテン』を支えた奇跡の二人
- 黒柳徹子: 歌手への愛情と感情的な共感。脈絡なく広がる自由な会話で番組に温かみを与える。
- 久米宏: 冷静な分析と時間管理。黒柳の奔放さを鋭く切り返し、ハプニングを笑いに変えつつ強引に進行を戻す。
第四章:報道革命──『ニュースステーション』の衝撃
1985年10月、テレビ朝日で始まった『ニュースステーション(Nステ)』は日本のジャーナリズム史における革命であった。それまでのニュース番組が「厳粛に、客観的に、原稿を読み上げる」ものであったのに対し、久米はこの不文律を根底から破壊した。

- 「ニュースはショーである」という哲学
- 彼はニュースを「ショー」として捉え、視聴者を飽きさせないための演出を徹底した。スタジオを動き回り巨大な模型や地図を使って解説するスタイル、デザイナーズブランドのスーツを着用するファッション性、そして政治用語を日常語に翻訳する「わかりやすさ」の追求。その全てが革新的だった。
- 「反権力」という、危険な賭け
- Nステが支持された最大の理由は、久米の明確な「反権力」の姿勢にあった。彼は時の政権や自民党に対し、皮肉や批判的なコメントを恐れずに発した。これは「不偏不党」を建前とする日本の放送界において極めて異例かつ危険な賭けであったが、多くの視聴者の喝采を浴びた。
- 伝説のエピソード群
- 巨人優勝で丸刈り(1989年): 熱狂的な広島カープファンである久米は「巨人が優勝したら丸刈りになる」と番組で宣言。実際に巨人が優勝したため、髪を短く刈り込み日本テレビの番組に出演し「読売ジャイアンツ、バンザーイ!」と叫んだ。
- 最終回のビール(2004年): 18年半続いたNステの最終回。久米は番組のラストで「僕のごほうびです」と言ってスタジオでビールを飲み干し、自らの手で伝説に幕を引いた。

「うわーっ!ニュース番組なのに丸刈りになったりビール飲んだりめちゃくちゃなんだブー!でもだからこそみんな政治とか難しいニュースも面白く見れたんだブーね!本当に革命だったんだブー!」
第五章:引き際の美学 ― ラジオ、そして、永遠の沈黙へ
テレビの第一線を退いた後も久米はラジオ番組『久米宏 ラジオなんですけど』などでその舌鋒を振るい続けた。しかし2020年6月、彼は突如としてその番組の終了を宣言する。

その理由は「言い間違いやケアレスミスが多くなり、集中力や根気が衰えた」というものであった。
彼は「下り坂になってから辞めるのが一番良くない。良い思い出が残るうちに辞めるのが持説」と語り、自らの老いを客観的に認め、クオリティを維持できなくなった時点でスパッと身を引くという極めてストイックな「引き際の美学」を貫いた。
終章:久米宏が、遺したもの
久米宏の功績を総括する時、最も重要な点は「ニュース報道の民主化(大衆化)」である。彼はニュースを「上から降ってくるお告げ」から「横にいる隣人との対話」に変えた。彼の登場以降、日本のニュースキャスターが自分の意見を言わない、あるいは感情を見せないということは不可能になった。
夫人の久米麗子さんは、その最期をこう綴っている。
「大好きなサイダーを一気に飲んだあと、旅立ちました。まるでニュースステーションの最終回でビールを飲みほしたあの時のように。」
『ザ・ベストテン』で日本中の視線を釘付けにし、『ニュースステーション』で日本中の意識を変革した男。
彼が去った後のメディア空間には巨大な空白が広がっている。しかし彼が発明した「ほにゃらら」という言葉が日常に残ったように、あるいは彼が持ち込んだ「自由な空気」が今の放送のDNAに刻まれているように、久米宏の遺伝子は形を変えて生き続けていくだろう。



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