若者の街、渋谷。その駅前における待ち合わせ場所の王者といえば、間違いなく「忠犬ハチ公像」である。しかし、駅の反対側(西口)にもう一つ、独特の存在感を放つ石像があることをご存知だろうか。
イースター島のモアイ像を彷彿とさせるその巨石は、「モヤイ像」と呼ばれている。
「モアイ」の誤植か、あるいはパロディか。
多くの人が抱くその疑問に対し、実は明確な答えと、設置に至るまでの行政的なドラマが存在する。
本稿は、なぜ渋谷に巨石があるのか、その名前の由来と、ハチ公に対抗しようとした「混雑分散計画」の行方について解説するレポートである。
第一章:「モヤイ」の意味──誤字ではなく“方言”
まず結論から言えば、「モヤイ」はモアイ像の真似ではなく、東京・新島(にいじま)の方言に由来する言葉である。

- 「力を合わせる」精神
- 新島の方言で「モヤイ(催合い)」とは、「力を合わせる」「共同作業」などを意味する言葉である。
- かつて島の人々が協力して生活していた助け合いの精神を象徴する名称として、この像に名付けられた。
- 材料は特産の「コーガ石」
- 像の材質はコンクリートではなく、新島特産の「抗火石(こうかせき)」という珍しい火山岩である。
- 軽くて加工しやすいため、現地の新島では実際にモヤイ像がアートとして多数点在しており、渋谷の像もその文化を輸出したものである。

ブクブー
「ええっ!ダジャレじゃなくて、ちゃんとした方言だったんだブー!『力を合わせる』って意味だなんて、待ち合わせ場所にピッタリな言葉だブー!」
第二章:なぜ渋谷なのか?──新島と渋谷区の絆
太平洋に浮かぶ離島と、大都会・渋谷。一見接点のない両者だが、実は深い交流の歴史があった。

- 青少年の交流拠点
- かつて新島には、渋谷区の施設である「渋谷区新島青少年センター」が存在していた。
- この施設を通じて、渋谷の子供たちが新島を訪れ、自然体験を行うなどの交流が続いていたのである。
- モヤイ像は、こうした「区と島の交流」を記念し、1980年(昭和55年)に新島村から渋谷区へ寄贈された友好の証であった。
- 二つの顔を持つデザイン
- 像をよく観察すると、表と裏で顔が異なることに気づく。
- 片面は長髪の若いサーファーのような「若者の顔」、もう片面は髭を蓄えた「老人の顔」が彫られている。これは、青少年センターを通じた世代間の交流や成長を象徴しているとも解釈できる。

ブクブー
「渋谷の子供たちが新島で遊んでた縁があったんだブーね。若者とおじいちゃんの顔が両方あるなんて、凝ったデザインだブー!」
第三章:ハチ公への対抗策──混雑分散の狙いと現実
この巨大な像が駅前に置かれた背景には、友好記念という名目以外に、渋谷区が抱える切実な都市問題の解決という狙いもあった。

- 「ハチ公前パンク」問題
- 当時から、渋谷駅前の待ち合わせは「ハチ公前」に一極集中していた。週末ともなれば人が溢れかえり、駅前機能が麻痺するほどの混雑となっていた。
- そこで、駅の反対側に「モヤイ像」という新たなランドマークを設置することで、「待ち合わせ場所を分散させよう」という都市計画的な意図が含まれていたのである。
- 結果は「ポツリポツリ」
- しかし、その効果は限定的であった。
- 現在に至るまで、ハチ公前の圧倒的なブランド力には敵わず、モヤイ像の前は比較的人が少ない状態(ポツリポツリと人がいる程度)が続いている。
- だが裏を返せば、「ハチ公前より空いていて見つけやすい」という利点があり、知る人ぞ知る穴場の待ち合わせスポットとして定着しているとも言える。
終章:都会の片隅で「モヤってる」
モヤイ像は、単なるオブジェではない。
それは「力を合わせる(モヤイ)」という新島の精神と、渋谷の子供たちの思い出、そして「駅前の混雑をなんとかしたい」という大人たちの願いが刻まれた石碑である。
ハチ公ほどの賑わいはないかもしれない。しかし、その静かな佇まいは、喧騒の街・渋谷において、人と人が確実に巡り会うための「協力者」として、今日も駅前に立ち続けている。



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