4500万円の血税を費やす「市議選」が突如決定された──。
学歴詐称問題から市議会で全会一致の不信任決議を受けた、静岡県伊東市の田久保眞紀市長。市政を揺るがす重大局面で彼女が選んだのは、“辞職”でも“失職”でもなく「議会の解散」だった。
しかも、市長が主張する「改革」や「信を問う」という言葉の裏には、“ステルス田久保派”と呼ばれる支援者の擁立や、公務をほとんど果たさないという指摘、さらには「タクボってる」という市民発の流行語までもが飛び交う、前代未聞の“混乱選挙”の様相がにじむ。
この解散は正義か暴走か。
信を問うとは誰の信か。
伊東の「改革」とは、一体何なのか──。





第1章:「全会一致の不信任」から始まった
田久保市長が9月10日に突如、伊東市議会を解散した──。
その前段には、東洋大学法学部を卒業したとする学歴が「虚偽だった」とする百条委員会の調査結果があった。市議会はそれを重く見て、9月1日に地方自治法違反での刑事告発と共に、全会一致で不信任決議を可決。
この時点で市長に残された選択肢は3つ。
- 自ら辞職
- 10日間以内に議会を解散
- 解散しない場合は自動的に失職
そして迎えた9月10日──
田久保市長は議長室に“解散通知”を手渡し、議会は事実上の「解散」状態に突入した。
- 不信任は「政策対立」ではなく「個人の資質」によるもの
- 議会の意志は「全会一致」での“NO”
- 地方自治法第178条が適用される極めて稀なケース
第2章:市長の言い分「信を問いたい」
では、なぜ田久保市長は議会を解散したのか。
本人はこう説明している。
「議会初日に不信任が議決され、審議ができなくなった。これは市民のためにならない。改めて信を問うべきだと考えた」
つまり、「議会が初日に不信任を出すから、予算も人事も審議できなかった。悪いのは議会だ」と主張しているのだ。
しかし、この主張には大きな矛盾がある。
- 教育長の人事案は「最終日に提出予定だった」と言いながら、そもそも候補者は決まっていなかった(教育部長が明言)
- 補正予算についても「準備中」とされるが、庁舎に市長の姿がほとんど見られなかった(記者指摘)
- 公務を果たしていないのに「議会が悪い」と責任転嫁?

「信を問うって、自分が信じられてるかじゃなくて、人のせいにしてないかを問うことなんじゃないブー?」
第3章:4500万円の市議選、市民の声は…
田久保市長の「議会解散」により、伊東市は4500万円の税金を使って10月19日に市議会議員選挙を行うことに。
これには市民から怒りの声が殺到。9月10日だけで苦情は400件超、7月以降の累計で9595件に上った。
- 「市長が辞めるべきだ」
- 「なんて選択をするんだ」
- 「またお金がかかるのか」
中には「議会選の日程はいつ?」という質問もあったが、それも“混乱”の証だろう。
- 今回の市議選は「政策の選択」ではなく「市長の延命策」と見られている
- 市民の多くは“改革”よりも“費用”と“責任”の所在を問うている
第4章:「ステルス田久保派」の影と戦略
市長の支持者から出馬する候補は、あえて「田久保支持」を明言しない“ステルス田久保派”になる可能性があると報じられている。
その理由は単純で、「田久保派」と見られれば不利だから。
市長本人は「議員擁立はしていない」と否定しているが、関係者によればすでに前回の市議選候補者を中心に擁立が進められているとの情報も。
- 市議会で市長不信任案を再可決するには「出席議員の過半数」が必要
- 出席数が20人中14人以上、その過半数(8人)が賛成すれば市長は失職
- よって、7人以上の“田久保寄り”が欠席すれば生き残れるという「数学的政治」が展開されている
第5章:「タクボってる」という流行語
今回の件が社会的に異常であることを象徴するのが──
なんと子どもたちの間で「タクボってる」が流行しているという事実。
「嘘ついてることを“タクボってる”って言うらしい」
この言葉には、政治の混乱が市民、特に次世代にまで影響を及ぼしているという、悲しさと現実味が込められている。

「政治不信って、子どもの言葉にまで染み出すんだブー。ちょっと切ないブー…」
第6章:「改革」とは何だったのか
田久保市長は「改革」という言葉を多用するが、その中身は不透明。
- メガソーラー反対運動を経て市長に就任したが、反対姿勢は既に市として確立済み
- 実際に市長選で訴えたのは図書館建設の白紙撤回だった
- 教育長不在、小中学校の統廃合も進まず、「改革」の足跡は見えていない
- 改革とは何か? 誰のためか?
- “信を問う”という言葉の背後に、「信じてもらえる行動」があるのか
第7章:伊東市の未来を誰が決めるのか
この混乱は終わっていない。
市議選で田久保氏寄りの議員が過半数を占めれば、「延命」は可能となる。だが、市民が信任しない限り、“改革”は形骸化するだけだ。
田久保市長は言う。
「誰が市長になっても、1度灯した改革の灯は消えない」
だが、今の伊東市には──
「灯り」よりも「熱」が、「信」よりも「疑念」が立ち込めているように見える。
結論:今、問われている“信”とは
今回の議会解散劇は、学歴詐称という私的問題から発した火種が、市政全体の構造問題へと広がった象徴的事例である。
- 権限を持つ者が、自らの延命のために制度を使うことの是非
- 「信を問う」という美名のもとに、税金と制度が消費されていく構造
- 市民が「問われる」のではなく、市民が「問い直す」べき時なのではないか

「“信を問う”ってカッコいい言葉だけど、本当の信頼は“選挙”じゃなくて“日々の行動”でつくられるんだブー…」
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