GAFAMの一角・Meta社が擁する巨大SNS「Facebook」。
かつては世界を席巻し、日本でもmixiを追い抜いて主流となったこのサービスは、今──多くの人の生活から静かに姿を消しつつあります。
X(旧Twitter)、Instagram、TikTok、YouTube…。
日常的に開くSNSやメディアが多様化した現代において、Facebookはもはや「使っていない」「見ていない」存在になってはいないか?
実際に、ある調査では「高校生が“なくてもいいメディア”1位にFacebookを挙げた」という結果も報告されています。
とはいえ、それだけで“終わった”と断じてよいのでしょうか?
Facebookが失ったもの、まだ持っているもの──そして「本当の役割は何だったのか?」を、今あらためて問い直してみたいと思います。
第1章:「最近開いてすらいない」──誰もが感じている“実感”
Facebookのタイムライン、いつ最後に開きましたか?
- 通知は「7年前の思い出」ばかり
- 自分も、友人も投稿していない
- 企業やお店のページも何年も更新されていない
そんな光景は、いまや珍しくありません。
日常的に情報を得るSNSとして、Facebookは静かに選択肢から外されつつあります。
■ 使わない理由は「つまらない」からではない
- 「ただ、誰も投稿していない」
- 「更新が止まっている」
- 「見るべきコンテンツが流れてこない」
それはつまり、「退屈」ではなく、「動いていない」。
“つまらなくなった”というより、“止まってしまった”SNSと言えるのかもしれません。
第2章:投稿しづらい構造──信頼性と自由のトレードオフ
Facebookが他のSNSと異なるのは、
- 実名制
- 顔出し
- 現実世界のつながりベース
という点です。
これにより、「誰が誰を見ているか」が可視化され、信頼感あるコミュニケーションを実現してきました。
しかしこの仕組みが、今では逆に「投稿のしづらさ」として作用しているのです。
■ こんな声がある
- 上司や取引先が見るかも → 投稿できない
- 家族や親戚が見てる → 曝け出せない
- なんとなく知ってる人に見られる → 気が重い
しかも、拡散性は低く、他のSNSにあるような「バズ」も起こりにくい。
結果としてFacebookは、「本音も言えず、広がりもない場所」になってしまいました。
第3章:情報源としての“存在感”の薄れ
SNSでニュースを知る。SNSで世の中を読む。
こうした流れの中で、Facebookがその「窓」として機能しているケースは減ってきています。
- X(旧Twitter)は速報性とトレンド性
- TikTokは動画での情報獲得
- YouTubeは専門家による知識発信
- Instagramはビジュアル×共感導線
では、Facebookは何を届けているのか?
かつては「信頼できる知人からの情報」という価値がありましたが、
その“知人”たちが情報発信をやめてしまった今、
メディアとしての存在意義は極めて薄くなっています。
第4章:企業・団体のFacebookページ──残ってはいるが、機能していない
地方自治体、大学、中小企業──多くの組織が公式Facebookページを持っています。
しかし実際には…
- 数年前から更新停止
- いいね数は一桁
- コメントもゼロ
“とりあえず残しているだけ”。
そう感じさせるアカウントが大半を占めているのが現実です。
企業・団体すらもFacebookの運用価値を見出せていない。
これは、個人よりもさらに深刻な「役割の喪失」と言えるかもしれません。
第5章:それでも、Facebookが担っている役割もある
ただし、それでもなお、Facebookには今も生きている「役割」がいくつか存在します。
海外では今も主流の国がある
アジア・南米・アフリカなどでは、Facebookが生活インフラに近い存在として使われています。
特定コミュニティでの活用
PTA、地域活動、特定趣味のグループ──閉じた信頼関係の中では今も有効です。
実名ベースのアーカイブとして
長く続いた日記、写真の保存、過去のつながりの記録など、「デジタル履歴書」として重宝している人もいます。
つまり、完全に終わったわけではない。だが“多くの人が日常的に使うSNS”としての時代は終えた──
そう言うほうが、実態に即しているのではないでしょうか。
第6章:とはいえ、Metaは絶好調──Facebookだけが“取り残されている”
皮肉な話ですが──
Facebookが使われなくなっても、Meta社は全く困っていない。
むしろ、業績としては好調です。
Instagramが若年層の中心メディアに
Z世代〜ミレニアル世代を中心に、日常の記録からトレンド発信まで、Instagramの勢いは今なお強い。
WhatsAppはグローバルの通信インフラに
特にヨーロッパ、南米、インドなどでは生活インフラ級の存在。
広告収益は盤石、AI投資も加速
広告モデルも進化を遂げ、生成AIやメタバース分野にも多額の投資がなされている。
■ Facebookはその“過去の象徴”となった
つまり──
Facebookが不調でも、Metaは倒れない。
それどころか、Metaの成長を止める要因にすらなっていない。
でもここで改めて浮かび上がるのが、この問いです。
「GAFAM」の中で“F”を担っているのは、誰なのか?
Google、Apple、Amazon、Microsoft…それぞれの頭文字が、
今も“主役”であることに異論はないはず。
しかし「F=Facebook」は、もはや“Metaの中のひとつの老舗部門”に過ぎなくなっている。
GAFAMの一翼を担ったはずの名前が、看板としての意味を失いつつある──
その事実が、静かにFacebookの現在地を物語っています。

「GAFAMの“F”なのに、Metaの中で一番影が薄いって…ちょっと切ないブー…」
「会社は元気でも、看板ブランドが寂れていく現象…まさに“時代の交代”だブー」
まとめ:「役目を終えた」と言い切れるのか?
Facebookは「主戦場」ではなくなった。
だが、「静かに残るメディア」として、まだ完全に役目を終えたわけではない。
今後求められるのは、“無理に復活させようとすること”ではなく、
“どんな場面でこそ力を発揮できるか”を再定義することなのかもしれません。

「“なくなってもいいメディア”って言われても、完全に終わったとは限らないブー…」
「どんな場面にこそ生きるのか、それを考えるときブー」
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