それは、日本中の家庭にとって、半世紀もの間、当たり前であり続けた風景だった。
日曜の朝、時計の針が9時半を指すと、テレビ画面には色とりどりのヒーローたちが躍動し、子供たちの「がんばれー!」という歓声がリビングに響き渡る。1975年の『秘密戦隊ゴレンジャー』から始まったこの“儀式”は、親から子へ、子から孫へと、途切れることなく受け継がれてきた。
しかし、その永遠と思われた光景に、突如として終止符が打たれる。
2025年10月30日、テレビ朝日系で放送されてきた「スーパー戦隊シリーズ」が、現在放送中の第49作目『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』をもって、50年の長きにわたる歴史に幕を下ろすことが報じられたのだ。
「まさか」「信じられない」「子供になんて説明すれば…」。
SNSには、リアルタイムでシリーズを観て育った大人世代からの、悲鳴にも似た声が溢れた。
これは、単に一つのテレビ番組が終わるというニュースではない。日本のポップカルチャーを形成し、数え切れないほどの子供たちの心に「正義」と「友情」の原風景を焼き付けてきた、一つの巨大な文化の灯火が、静かに、しかし確実に消えようとしているのだ。
なぜ、この偉大なシリーズは、自らの50周年という記念すべき節目を、自らの墓標としなければならなかったのか。
本稿は、その背景にあるビジネスモデルの限界、制作現場の苦悩、そして時代の大きなうねりを解き明かし、我々が失おうとしているものの本当の価値を記録する、総合的なレポートである。
第一章:公式発表の裏側──「制作費に見合わない」という、あまりにも冷徹な現実
各メディアが報じた内容を統合すると、今回のシリーズ終了の直接的な引き金は、極めてシンプルで、しかし残酷な経営判断であったことがわかる。
「イベントや関連グッズ、映画化などで得られる収入が、番組制作費に見合わない」
この一文に、全ての苦悩が集約されている。
スーパー戦隊シリーズは、単なるテレビ番組ではない。それは、テレビ朝日(放送局)、東映(制作会社)、そしてバンダイ(玩具メーカー)という三位一体で展開される、巨大なメディアミックス・ビジネスである。
- ビジネスモデルの構造
- 【広告塔】テレビ放送: 毎週30分の放送は、その年の新しいヒーローや巨大ロボットを子供たちに認知させ、熱狂させる、最大の広告塔の役割を担う。
- 【収益の柱】玩具販売: 番組の人気を、変身アイテムや合体ロボットなどの関連玩具の売上に直結させる。これが、シリーズ全体の収益を支える最大の柱である。
- 【収益の補強】多角的展開: 映画、ヒーローショー、DVD/Blu-ray、キャラクターグッズなどで、収益源を多角化する。
このモデルは、長年にわたり驚異的な成功を収めてきた“黄金の方程式”だった。しかし、近年、この盤石に見えたビジネスモデルの歯車が、少しずつ、しかし確実に狂い始めていた。
- 【支出の増大】高騰し続ける制作費
- 視聴者の目が肥え、CG技術が進化する中で、特撮ヒーロー番組に求められる映像クオリティは年々上昇。派手な爆破シーン、精巧なスーツやミニチュア、そして最新のVFX。これらは全て、制作費の増大に、容赦なく直結する。
- 【収入の減少】避けられない時代の逆風
- 玩具売上の低迷: 少子化という、抗いがたい社会構造の変化が、最大の顧客である子供の絶対数を減らした。さらに、子供たちの遊びも多様化し、スマートフォンやゲーム機が、かつて変身ベルトが占めていた“クリスマスに欲しいものリスト”の上位を、無慈悲に奪っていった。
- テレビ視聴率の低下: 視聴スタイルの変化により、テレビのリアルタイム視聴率が全体的に低下。番組の広告塔としての価値も、相対的に下がらざるを得なかった。
つまり、「収入の減少」と「支出の増大」という、企業経営における最も深刻なダブルパンチに見舞われていたのだ。かつては金の卵を産むガチョウだったこのビジネスモデルは、いつしか、その維持コストに見合わない存在へと、静かに姿を変えていたのである。

「そんな…。ヒーローたちの物語が終わる理由が、『お金』だなんて…悲しすぎるブー…。子供たちの夢も、時代の流れには勝てなかったってことなのかブー…?」
第二章:制作現場の“魂の告白”──「自転車操業」と「仮面ライダーとの差」
この経営的な苦境は、制作の最前線にも、重い、重い影を落としていた。
2025年7月、東映で長年シリーズを支えてきた白倉伸一郎プロデューサー(キャラクター戦略部長)が、メディアのインタビューで語った言葉は、今となってはシリーズの末期症状を物語る、痛切な“魂の告白”として響く。
- 「よくも悪くも自転車操業なんです」
- 白倉氏が明かしたのは、50年近く続く長寿シリーズでありながら、常に「1年先の作品が決まっていない」という、驚くべき内情だった。その年の作品を放送しながら、翌年の企画開発を並行して行う。常に時間に追われ、長期的な視野に立った改革が極めて難しい制作体制。この「自転車操業」という言葉は、ギリギリの状態で半世紀を走り続けてきた現場の、壮絶な疲弊を何よりも雄弁に物語っている。
- 「ライダーよりも同じことを繰り返しているイメージがある」
- もう一つの重要な指摘が、同じく東映が制作する、もう一つの巨塔「仮面ライダーシリーズ」との“ブランドイメージの差”だ。
- 仮面ライダーが、時に大人向けの難解なストーリーを展開したり、主人公のキャラクター設定を大胆に変えたりと、シリーズごとに作風を大きく変革させてきたのに対し、スーパー戦隊は「5人チーム」「色分け」「巨大ロボ」という、良くも悪くも“お約束”のフォーマットを長年守り続けてきた。
- 白倉氏はこの固定化されたイメージが「世間にもあるし、現場(作り手)にもある」と率直に認め、だからこそ「新しいものにトライできる現場にしていこう」と、改革への並々ならぬ意欲を語っていた。
この告白から浮かび上がるのは、経営的な行き詰まりと、創造的なマンネリという、二つの深刻な課題に直面していたシリーズの姿だ。
記念すべき第49作目『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』は、過去のレッドを再定義するなど、まさにこのマンネリを打破し、「次の50年」へ進むための意欲作だった。
しかし、白倉氏が「絶賛構築中です!」と未来を語っていたその裏で、シリーズの終了は、すでに避けられない決定事項として進行していたのかもしれない。
その言葉は、あまりにも悲しい「嘘も方便」だったのだろうか。
第三章:半世紀の巨大な足跡──スーパー戦隊が日本に築き上げた“文化”とは何か
シリーズの終焉を嘆く前に、我々はこの50年間で、スーパー戦隊がどれほど巨大で、かけがえのない“文化”をこの国に築き上げてきたか、その歴史を、改めて振り返る必要がある。
| 時代 | 年代 | 主な特徴とイノベーション | 代表的な作品 |
|---|---|---|---|
| 創成期 | 1970年代 | ・「5人組ヒーロー」という基本フォーマットの確立 ・等身大ヒーローのアクションが中心 ・巨大ロボットの概念はまだない | 『秘密戦隊ゴレンジャー』 『ジャッカー電撃隊』 |
| 発展期 | 1980年代 | ・巨大ロボットの初登場(バトルフィーバーJ) ・変形・合体ロボという玩具史に残る発明(サンバルカン、ゴーグルファイブ) ・ドラマ性の強化と、子供たちの心を掴む物語の確立 | 『太陽戦隊サンバルカン』 『超電子バイオマン』 『超新星フラッシュマン』 |
| 黄金期 | 1990年代 | ・6人目の戦士という新機軸の登場(ジュウレンジャー) ・ファンタジー、恐竜、忍者など、多様なモチーフの導入 ・作品の世界観が成熟し、幅広い世代からの支持を獲得 | 『鳥人戦隊ジェットマン』 『恐竜戦隊ジュウレンジャー』 『五星戦隊ダイレンジャー』 |
| 模索期 | 2000年代 | ・VSシリーズ(劇場版)の定着 ・コメディ路線(カーレンジャー)やシリアス路線(タイムレンジャー)など、作風の多様化 ・CG技術の導入による、映像表現の進化 | 『救急戦隊ゴーゴーファイブ』 『未来戦隊タイムレンジャー』 『特捜戦隊デカレンジャー』 |
| 円熟期 | 2010年代 | ・アニバーサリー作品の成功(ゴーカイジャー) ・複数戦隊の登場や、メンバー構成の多様化(キュウレンジャー) ・若手俳優の登竜門としての地位を確立 | 『海賊戦隊ゴーカイジャー』 『烈車戦隊トッキュウジャー』 『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』 |
| 最終期 | 2020年代 | ・過去の歴史を総括し、新たなステージを模索 ・伝統と革新の間での苦悩 | 『王様戦隊キングオージャー』 『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』 |
この歴史は、単なる子供向け番組の変遷ではない。
それは、日本の玩具文化の進化史であり、映像技術の発展史であり、そして何よりも、時代ごとの子供たちが何を夢見てきたかの記録そのものである。
さらに、シリーズは日本を代表する多くの人気俳優を輩出してきた。松坂桃李(侍戦隊シンケンジャー)、山田裕貴(海賊戦隊ゴーカイジャー)、横浜流星(烈車戦隊トッキュウジャー)など、枚挙に暇がない。彼らが一年間、子供たちのヒーローとして過ごした経験は、その後のキャリアの大きな礎となっている。
スーパー戦隊は、日本のエンターテインメント界にとって、かけがえのない人材育成の場でもあったのだ。
終章:時代が終わるのではない、時代が“変わってしまった”のだ
「スーパー戦隊の終了で、ますます少子化が進むのでは」
この懸念は、決して大げさなものではない。かつて、このシリーズは、子供たちが共通の話題で盛り上がり、友情を育む、重要なコミュニケーションツールだった。
その存在が失われることは、子供たちの世界から、一つの大きな“共通の広場”が消えることを意味する。
しかし、我々はこの厳しい現実を、冷静に受け止めなければならない。
スーパー戦隊が終わるから、時代が変わるのではない。
時代が、社会が、子供たちの生活が、もはや半世紀前のビジネスモデルでは立ち行かないほど、根本的に変わってしまったのだ。
その巨大で、誰にも止められない構造変化の波に、50年の歴史を誇る偉大なシリーズも、抗うことができなかった。これが、本稿がたどり着いた、悲しい結論である。
日曜の朝、テレビの前に座れば、当たり前のように新しいヒーローがそこにいた。
その“当たり前”が、どれほど多くの人々の血の滲むような努力と、奇跡的な時代の巡り合わせの上にあったのかを、我々は今、失うことになって初めて、痛感している。
来年の春、私たちは新しい戦隊の名を、もう聞くことはない。
しかし、50年間、49のチームが紡いできた物語は、決して消えることはない。アカレンジャーからゴジュウレッドまで、200人を超える全てのヒーローたちが教えてくれた「あきらめない心」と「仲間を信じる力」は、かつて子供だった全ての大人たちの心の中に、そして、彼らが自らの子供たちに語り継ぐ物語の中に、永遠に生き続けるだろう。
テレビ画面の色は消える。
しかし、私たちの心に焼き付いた5つの色は、永遠に不滅なのである。

「寂しい…本当に寂しいんだブー…。でも、50年間も、たくさんの夢と勇気をありがとうって、今は言いたいんだブー…。ゴレンジャーも、ゴジュウジャーも、僕たちの心の中では、永遠にヒーローだブー…!」



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