「ヤクザは、どうやってなるのだろうか?」
企業のように求人があるわけでも、スーツを着て面接に行くわけでもない。しかし、どこかの時点で“その道”を選び、そして二度と抜け出せなくなる人々が、この社会には確かに存在する。
そこに、我々が知るような「就職」や「家業」といった概念はない。あるのは、人間関係と忠誠心、そして後戻りのきかない選択の積み重ねだけだ。
本稿は、若者がいかにしてその道へと足を踏み入れ、そしてなぜ、一度足を踏み入れると抜け出すことが極めて困難になるのか。その知られざる「入口」と「出口のない構造」の実態に迫るレポートである。
第一章:「なる」ことは“入社”ではない──ヤクザへの、三つの入口
暴力団への加入は、履歴書を出すような「入社」ではない。多くの場合、それは個人の境遇と人間関係が交差する、三つの典型的なパターンに分類される。

- ① 系譜的に継ぐ「家業型」
- 父親や兄、叔父などが組関係者であるという家庭に育ち、幼い頃からその“空気”の中で成長するケース。祝い事や葬儀などを通じて、物心つく前から組関係者との付き合いを経験する。
- 周囲から「いずれは跡を継ぐのが当たり前」と見なされ、他の進路を描けないまま大人になる。「大学なんて、ウチの家業には関係ないだろう」と言われた時点で、その若者の人生の選択肢は大きく偏ってしまうのだ。
- ② 不良少年から、チンピラへ至る「非行型」
- 少年時代の暴力沙汰や非行の末、少年院への収容歴や補導歴を持つケース。暴走族や半グレといったアウトロー集団での活動を通じて、「筋が通っている」「根性がある」と既存の組関係者から目をかけられる。
- 最初は単なる「使い走り」や幹部のお守り役といった末端の役割から始まる。しかし次第にその忠誠心や度胸が認められ、“誰かの下”に入ることで食い扶持を得る、正式な「若衆」として組織に取り込まれていく。
- ③ 金と孤独が生む「追い込まれ型」
- 家庭の崩壊や親からのDV、あるいは経済的な困窮などによって、社会的に完全に孤立してしまったケース。正社員にはなれず、派遣や日雇いの仕事を転々とする中で声をかけられる。
- 借金やギャンブル依存症などで自力では這い上がれない状況に追い込まれた末に、「メシと寝床と金は、用意してやる」という甘い言葉と共に、組にその身を預けることになる。彼らにとって、組は最後の「セーフティネット」であり、同時に出口のない迷宮への入口となる。

「そっか…。ヤクザになるって、自分で『なろう!』って決めるだけじゃなくて、そういう環境で育ったり、もう、そこしか頼れる場所がなくなって、追い込まれたりして、なる人もいるんだブーか…。なんだか、すごく、悲しい話だブー…。」
“裏社会”への、三つの典型的な入口
- 家業型: 父親や親族が組関係者で、物心つく前から、その道が“当たり前”の環境で育つ。
- 非行型: 暴走族や半グレでの活動を通じ、既存の組関係者からスカウトされる。
- 追い込まれ型: 貧困や孤立の末、「メシと寝床」を最後のセーフティネットとして、組に身を預ける。
第二章:「やめられない」仕組み──“盃”という名の、絶対的な契約
一度足を踏み入れると抜け出すことが極めて困難になる。その背景には、暴力団組織が長い歴史の中で築き上げてきた、巧妙でそして強固な拘束のメカニズムが存在する。

- 「盃(さかずき)」という、心理的な契約
- 親分・子分の関係を結ぶ際に行われる「盃事(さかずきごと)」は、血縁以上の絶対的な関係性を当事者間に、そして組織全体に植え付けるための重要な儀式である。
- 法的な拘束力は一切ない。しかし一度この盃を交わせば、「親のためなら、命を懸ける」「裏切れば、報復される」という強烈な心理的・組織的な縛りが生まれるのだ。
- 「絶縁」「破門」という、組織的な制裁
- 組を抜けるという行為は、単なる「退職」ではない。それは組織に対する「裏切り」と見なされ、「絶縁」や「破門」といった公式な処分の対象となる。
- 下っ端の構成員が穏便に辞めるケースもあるが、組織への義理を欠いたと判断されれば、報復の対象となるリスクもゼロではない。
- また、幹部クラスが辞める際には公式な「引退式」が行われることもある。一方で、社会復帰をスムーズにするためにあえて「破門」してもらい、他の組織から再勧誘されないようにするという特殊なケースも存在する。
- 反社排除条例という、社会的な壁
- たとえ組織から物理的に離れることができたとしても、その先に待っているのはあまりにも厳しい現実だ。
- 全国の自治体で施行されている「暴力団排除条例」により、元構成員というレッテルはその後の人生のあらゆる場面で重くのしかかる。
- 銀行口座の開設、携帯電話の契約、アパートの賃貸契約、そして就職。その全てにおいて「元反社」というただ一つの事実によって、門前払いを食らうケースが後を絶たない。
- 先日も、組を辞めたにもかかわらず銀行口座の開設を拒否されたのは違法だと訴えた裁判で、元暴力団員側が敗訴している。一度ヤクザになると社会復帰は極めて困難なのが現実なのだ。
ヤクザを「やめられない」、二つの強固な理由
- 組織の論理: 「盃」という、血縁以上の心理的契約と、「裏切り」に対する報復の恐怖。
- 社会の論理: 「暴力団排除条例」により、元構成員は、銀行口座開設や就職など、社会復帰のあらゆる場面で、門前払いされる。
第三章:若者が入らなくなった、“終わる組織”の、今
しかし、そのかつては若者にとってある種の「魅力」すら持っていた暴力団という組織は、今、静かに、しかし確実にその姿を変えつつある。

- 構成員数の、激減と、高齢化
- 警察庁の統計によれば、暴力団の構成員数はこの20年で劇的に減少している。
- 若者の加入が減り、ベテランだけが残る組織の「高齢化」も深刻な問題となっている。「暴力団になれば、稼げる、モテる」というかつての幻想は完全に崩壊したのだ。
- “囲い込み”に必死な、組織
- その結果、現在の暴力団組織は新たな若者をスカウトするよりも、むしろ一度組織に入った人間を“抜けさせないように、囲い込む”ことに必死になっているという実態がある。

「ヤクザになる人が、すごく減ってるんだブーね。それは、いいことなんだブー。でも、その分、一度入ったら、もっと抜けられなくなってるってことなんだブーか…。なんだか、別の怖さがあるんだブー…。」
第四章:ヤクザは、なぜ“最後の居場所”になってしまうのか
社会から疎外され、孤立した若者にとって、暴力団はなぜ抗いがたい「居場所」となり得るのか。
- 家族の温もりを知らない者にとっては、そこには初めての「兄弟」や「親父」がいるように感じられる。
- 社会に自分の役割を見出せなかった者にとっては、そこには唯一の「役割」と「尊厳」が与えられるように見える。
しかし、その束の間の「居場所」と引き換えに、彼らが放棄させられる代償はあまりにも大きい。
自由、将来、そして法の下の平等な権利。その全てを差し出すことになるのだ。
終章:社会は、彼らを、どう扱うべきか
結論として、暴力団に入るという選択は決して正しいものではない。
しかしその一方で、「そこしか、なかった」という若者が確かに存在する、という事実から我々は目を背けるべきではない。
この国には、「やり直せない人」があまりにも多い。
一度道を外れた者を「過去」という消せない烙印だけで判断し、社会の隅へと追いやり続ける限り、「抜けられない構造」は暴力団組織だけでなく、我々の社会そのものが作り出しているという側面があるのかもしれない。
彼らの物語は決して我々の日常とは無関係ではない。
それは、我々の社会がこぼれ落ちた者をどう受け止めるのか、という重い問いを静かに突きつけているのである。



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