「江戸時代に、正確な日本地図を作った人は?」
この問いに、我々のほとんどが「伊能忠敬」と答えるだろう。50歳を過ぎてから日本全国を自らの足で測量して回った、あの努力の人だ。
しかし、事実は少し違う。
伊能忠敬がその壮大な測量の旅に出る、実に42年も前に、既に「緯度・経度線が入った、科学的な日本地図」を完成させ、世に送り出した一人の男がいた。
その名は長久保赤水(ながくぼ せきすい)。
それまでも「日本地図」と呼ばれるものは存在した。だがそれらは形が歪んでいたり、名所旧跡を並べた観光ガイドのような「絵図」に過ぎなかった。赤水はそこに初めて、西洋の地図技術である「グリッド(経緯線)」を持ち込み、地図を「なんとなくの絵」から「計測可能な、科学のツール」へと進化させたのだ。
なぜ彼の名は教科書の主役になれなかったのか。
そしてなぜ坂本龍馬や吉田松陰といった幕末の英雄たちは、伊能忠敬ではなく長久保赤水の地図を懐に忍ばせていたのか。
そこには「足で稼いだ伊能」とは全く対照的な、「圧倒的な情報編集力」で日本を描き出した、江戸の知の巨人の物語があった。
第一章:「足」の伊能、「頭脳」の赤水──江戸の“ビッグデータサイエンティスト”
二人の日本地図作成における最大の違いは、その「アプローチ」にある。

- 伊能忠敬:「実測」の鬼(ハードウェア的アプローチ)
- 伊能は自らの足で全国を歩き、最新の測量器具を覗き込み、一歩一歩、距離と方角を測った。それは途方もない時間と労力、そして国家的な予算を投じた「フィールドワーク」の究極の形である。
- 長久保赤水:「編集」の鬼(ソフトウェア的アプローチ)
- 一方、赤水は生涯故郷の常陸国(現在の茨城県)からほとんど出ることなく地図を完成させた。
- 彼が行ったのは、幕府や各地の大名家が秘蔵していた「国絵図」、旅人の実測記録、街道の詳細な道程といった、日本中に散在していた膨大な既存のデータ(文献)を収集し、それらを机の上で比較・照合し、矛盾点を修正しながら一枚の最も精度の高い地図へと統合していくという作業だった。
- これは現代で言えば、有象無象のビッグデータを統合しアルゴリズムで最適解を導き出す「データサイエンティスト」の手法そのものである。

「ええーっ!?日本中を歩き回らないで、部屋の中から、正確な日本地図を作っちゃったんだブー!?いろんな資料を集めて、間違いを直して、一つにまとめる…!まさに、スーパー編集者なんだブー!そんな方法があったなんて、知らなかったんだブー!」
日本地図作成、二つの、全く異なるアプローチ
- 伊能忠敬(ハードウェア的): 自らの「足」で全国を歩き、一歩一歩、データを集める「実測」の鬼。
- 長久保赤水(ソフトウェア的): 生涯ほとんど旅をせず、既存の膨大な文献データを、「頭脳」で、比較・照合・修正し、統合する「編集」の鬼。
第二章:日本初! 地図に「グリッド(経緯線)」を引いた革命
赤水が1779年に完成させた『改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちろていぜんず)』には、それまでの全ての日本地図にはなかった決定的な発明があった。
それが「経緯線(グリッド)」である。

- 「絵図」から「科学」へ
- 赤水は当時入手可能だった西洋の地図作成法を独学で学び、日本で初めて地図の上に「緯度」と「経度」の線を正確に描き込んだ。
- これにより地図はもはや単なる美しい「絵」ではなくなった。地図を見る者は誰でも、「ある地点から別の地点まで、どの方角にどれくらいの距離があるのか」を客観的に把握できるようになったのだ。
- これは日本の地図の歴史において、地図が実用的な「科学のツール」として再定義された革命的な瞬間であった。
第三章:「国家機密」の伊能図、「ベストセラー」の赤水図
では、なぜ幕末の志士たちはより精度の高いはずの伊能図を使わなかったのか。
答えは極めてシンプルだ。「彼らは伊能図を見ることができなかったから」である。

- 伊能図 = 国家最高機密
- 伊能忠敬の地図は、そのあまりにも驚異的な精度の高さゆえに幕府によって国防上の「国家最高機密」として江戸城の奥深くに厳重に秘匿された。庶民はもちろん、ほとんどの大名でさえその全体像を見ることは許されなかった。
- 赤水図 = 累計数万部の国民的ベストセラー
- 対する赤水は自らが完成させた地図を、大阪の版元から木版画として「出版」した。
- 見やすく正確で、そして誰でも購入できる。赤水の地図は瞬く間に日本中に普及し、その後約100年間にわたり「日本地図のデファクトスタンダード(事実上の標準)」として君臨し続けたのだ。
- 維新は赤水図の上で計画された
- 吉田松陰が黒船での密航を企てた時も、坂本龍馬が土佐を脱藩し日本の未来を思い描いた時も、ペリー来航に揺れる志士たちが日本の行く末を議論した時も。
- 彼らの手元に広げられていたのは、間違いなくこの市井の知の巨人が作り上げた「赤水の地図」だったのである。明治維新は長久保赤水の地図の上で策定されたと言っても過言ではない。

「うわーっ!坂本龍馬も、吉田松陰も、みんな、この赤水さんの地図を見て、日本の未来を考えてたんだブーか!教科書のヒーローたちが使ってたのは、伊能忠敬のじゃなくて、こっちの地図だったなんて…!歴史の、裏側を、見ちゃった気分だブー!」
伊能図と赤水図、その、決定的な“運命”の違い
- 伊能図 = 国家最高機密: 幕府によって江戸城の奥深くに秘匿され、庶民は、決して、見ることができなかった。
- 赤水図 = 国民的ベストセラー: 木版画として「出版」され、誰でも購入できた。約100年間、「日本地図の事実上の標準」として、普及した。
終章:努力の伊能、知の赤水 ― 時代が求める英雄の形
明治時代以降、近代国家としての教育が進む中で、
「老いてなお学問に励み、日本中を自らの足で歩いた努力の人」として伊能忠敬の物語は英雄視され、教科書の主役となった。
一方で「部屋にこもり膨大なデータを編集した」赤水の、そのあまりにも知的な偉業は歴史の影へと薄れていった。
しかし情報が氾濫する現代において、我々は赤水の功績を見直すべきではないだろうか。
断片的な、そして真偽の定かではない情報を統合し矛盾を見抜き、そしてそれを誰もが利用できるオープンな形で社会に還元する。
その卓越した「編集能力」と「オープンソースの精神」は、まさしく現代の我々が最も必要とする知性そのものである。
伊能忠敬より42年も前に世界水準の科学的な地図を作り上げ、それを日本中にシェアした男。
長久保赤水こそ、日本の近代化を陰で支えた、もう一人の、そして真の「地図の父」なのかもしれない。



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