「プリングルズを作った人は、プリングルズの筒に入って埋葬されたらしい」
そんな噂話を耳にしたことはないだろうか。あまりに出来すぎた話ゆえに、長らく都市伝説の一つとして語られてきたこのエピソード。
しかし、これは紛れもない事実である。
その人物の名はフレドリック・J・バウアー(Fredric J. Baur)、P&G社に勤務した米国の化学技術者だ。
彼は自分の人生をかけた発明品をあまりに愛するがゆえに、自らの遺灰をあの「円筒形の容器」に入れることを遺言し、そして実際にその通りに埋葬された男だった。
第一章:袋入りチップスの「絶望」を救った、革命的発明
時計の針を1960年代に戻そう。
当時のポテトチップスといえば「袋入り」が常識だった。しかしそこには消費者にとって、三つの大きな不満があった。
- 袋の中は空気ばかりで中身が少ない。
- 輸送中にチップスが粉々に割れてしまう。
- 食べると油で手がベトベトになる。

有機化学者であり食品保存技術の専門家であったバウアー氏は、この業界全体の課題に挑んだ。そして1966年、彼は二つの革命的な解決策を考案する。
- 「双曲放物面(サドル型)」に成形された、美しく重なり合うチップス。
- そしてそれらを隙間なく積み重ねて保護するための、「頑丈な円筒形の容器」。
これこそが世界初の成形ポテトチップス「プリングルズ」の特許の核心である。
彼の発明はスナック菓子業界に「割れない」「汚れない」「最後まで形が保たれる」という革命をもたらしたのだ。
第二章:89歳の最後の願い──「約束通り、あの筒へ」

- 父の、ユニークな遺言
- 2008年5月、バウアー氏は89歳でその生涯を閉じた。
- 彼は生前、自分の子供たちに冗談めかして、しかし真剣にこう語り続けていたという。「私が死んだら、遺灰はあのプリングルズの筒に入れて埋葬してくれ」と。
- 葬儀の途中で、スーパーへ
- 葬儀の日、彼の娘であるリンダ・バウアー氏は兄弟たちと相談し、父の偉大な功績とそのユニークな遺志を尊重することを決めた。
- しかしここで一つの問題が発生する。遺灰を納めるべき肝心のプリングルズの空き容器が手元になかったのだ。
- そこでバウアー氏の息子であるラリー・バウアー氏は、葬儀へと向かう道すがら、近くのスーパーマーケット「ウォルグリーン」に立ち寄り、スナック菓子の売り場で父の“最後の棺桶”を購入したのである。

「ええーっ!?お父さんの最後のお願いなのに、その肝心の筒が手元になかったんだブーか!?しかもお葬式に向かう途中で、スーパーに寄って買ったなんて…!なんだかアメリカっぽくてすごい話だブー!」
第三章:究極の選択──父を納めるべきは、「何味」か?
売り場に並ぶ色とりどりのプリングルズの筒。サワークリーム&オニオン、チェダーチーズ、そしてオリジナルのうすしお味。父を永遠の眠りにいざなうのに最もふさわしいのは、一体どのフレーバーなのか。

兄弟たちの間で少しの議論があった後、息子ラリー氏が迷わず手に取ったのは、あの「赤い筒」だった。「オリジナル(塩味)」である。
「やはり、全ての始まりはこれだったわけですから」
ラリー氏は後にメディアの取材に対しそう語っている。父の偉大な発明への最大限の敬意を表し、余計な味付けのない「原点」が選ばれたのだ。
こうしてフレドリック・J・バウアー氏の遺灰の一部は、彼の子供たちが購入した赤いプリングルズの容器に厳かに収められ、残りの遺灰(伝統的な骨壷に入ったもの)と共に、オハイオ州シンシナティの墓地に静かに埋葬された。

「やっぱり、オリジナルなんだブー…。お父さんの最高の発明への最高のリスペクトなんだブーね。なんだか、ちょっと感動しちゃったんだブー…。」
終章:技術者としての、究極の誇り
自らの遺骨を自分が発明した工業製品に入れてくれと頼む。
それは一見奇妙に聞こえるかもしれない。しかし一人の技術者として、これほどまでに純粋でそして力強い「誇り」の表現が他にあるだろうか。
彼は今日も自らが発明した、あの頑丈で湿気にも衝撃にも強い完璧な円筒の中で、安らかにそしておそらくは少し得意げに眠っているはずだ。
次にあなたが赤い筒の、あのポコンと音の鳴るフタを開ける時。
ほんの少しだけ、この偉大なそして少し風変わりな発明家のことを、思い出してみてほしい。



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