【返還】さようなら、パンダ──なぜ日本から“最後の2頭”は消えるのか?日本とパンダの50年

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2026年1月下旬、東京・上野動物園から双子のジャイアントパンダ、シャオシャオとレイレイが中国へと旅立つ。この二頭の旅立ちは単なる個別の動物の移動ではない。

それは1972年にカンカンとランランが来日して以来、半世紀以上にわたって日本中を熱狂させ、そして癒し続けてきた「日本とパンダの蜜月(みつげつ)の時代」が、一つの大きな区切りを迎えることを意味する。

彼らの返還後、日本国内で飼育されるパンダは「ゼロ」となる。

なぜあれほどまでに愛されたパンダたちは、次々と日本を去ってしまったのか。そしてなぜ新たなパンダを迎えることができないのか。

本稿は、この静かにしかし確実に訪れようとしている「ゼロパンダ時代」の背景にある、国際的なルールと冷え込んだ日中関係の現実、そして日本人がパンダと共に歩んだ50年余りの栄光と感動の軌跡を解き明かすレポートである。


第一章:なぜパンダは“必ず”中国へ帰るのか?──「贈り物」から「レンタル」への大きな転換

上野の双子パンダが返還される最も根本的な理由は極めてシンプルだ。それは「海外にいる全てのパンダの所有権は中国にある」という国際的なルールに基づいている。

  • 「パンダ外交」の時代の終わり
    • 1972年に日本に初めてやってきたカンカンとランランは、日中国交正常化を記念した中国からの「贈り物(無償提供)」だった。これは当時中国が友好の証として各国にパンダを贈った、いわゆる「パンダ外交」の一環であった。
  • ワシントン条約と「繁殖研究」という新たなルール
    • しかし1984年、ジャイアントパンダがワシントン条約で最も絶滅が危惧される種に指定され、商業目的での国際取引が禁止される。
    • これにより1980年代後半以降、パンダは「繁殖・研究」を目的とした有償の貸与契約によってのみ、海外の動物園に貸し出されるという新たな国際ルールが確立された。
  • 日本で生まれても所有権は中国に
    • このルールは海外で生まれた子供にも適用される。日本で生まれたパンダも例外ではなくその所有権は中国にあり、協定により通常は生後24か月で中国へ返還される取り決めとなっている。
    • 2017年に上野で生まれたシャンシャンが日本中から惜しまれつつも中国へと旅立ったのも、この国際的な原則に従った結果なのである。
ブクブー
ブクブー

「ええーっ!?そうだったんだブー!?昔は『プレゼント』だったのに、今は全部『レンタル』だったんだブーか!日本で生まれても、中国のパンダさんだったなんて…!知らなかったんだブー!」

POINT

パンダの所有権をめぐる、歴史の大きな転換

  • 1970年代(パンダ外交の時代): 友好の証としての「贈り物(無償提供)」。所有権は日本にあった。
  • 1980年代後半以降: ワシントン条約を受け、「繁殖・研究」を目的とした「有償の貸与契約(レンタル)」へ。所有権は全て中国にある。

第二章:もう一つの背景──冷え込んだ「日中関係」という現実

契約上の返還義務に加え、今回の双子パンダの返還にはもう一つ無視できない背景がある。それは近年悪化の一途を辿る日中関係の冷え込みだ。

  • 「友好のシンボル」の役割の変化
    • 長年パンダは「友好の使者」として、両国間の政治的な緊張を和らげる潤滑油の役割を果たしてきた。
    • しかし近年、特に台湾有事をめぐる日本政府要人の発言などを機に日中関係は悪化。中国側がパンダの追加貸与に極めて消極的になっていると報じられている。
  • 中国側の姿勢の変化
    • 日本政府や東京都は今回の返還期限の延長や、2025年の大阪・関西万博に合わせた新規貸与を中国側に要請してきた。
    • しかし中国側から前向きな回答は得られず、近年では「日本の友人が折に触れてパンダに会いに中国に来てくれるのを歓迎する」とコメントするなど、自国でパンダを見てもらうという姿勢も示している。

これらの外交上の複合的な要因が重なり、上野の双子パンダは契約通り中国に返還せざるを得ない状況となったのだ。

ブクブー
ブクブー

「うう…。パンダさんたちに罪はないのに…。偉い人たちがケンカしちゃうと、パンダさんにも会えなくなっちゃうんだブーか…。なんだか、すごく悲しいんだブー…。」


第三章:日本におけるパンダ飼育の歴史

この50年余り、日本のパンダ飼育の歴史は東京・上野、和歌山・白浜、そして兵庫・神戸の三つの拠点を中心に紡がれてきた。

施設名飼育開始年主な功績と現状
東京・上野動物園1972年日本のパンダブーム発祥の地。国内初の繁殖成功(トントン)。シャンシャン、双子のシャオシャオ・レイレイ誕生で再びフィーバーを巻き起こす。現在国内最後の2頭を飼育中。
和歌山・白浜アドベンチャーワールド1994年日本で最も繁殖実績のある施設。日中共同繁殖プロジェクトで17頭の繁殖に成功。「ビッグダディ」永明の功績は世界記録級。2025年6月に全頭が返還され現在はゼロ。
兵庫・神戸市立王子動物園2000年阪神・淡路大震災の復興のシンボルとしてタンタンが来園。24年間にわたり市民に愛されたが繁殖には至らず。2023年にタンタンが死去し現在はゼロ。

このようにかつては日本の各地で我々を楽しませてくれたパンダたち。

しかし契約満了に伴う返還が相次ぎ、ついに国内のパンダは上野の双子2頭のみという状況になっていたのだ。


第四章:年表で振り返る「日本とパンダ、50年の歩み」

主な出来事
1972年日中国交正常化を記念しカンカンとランランが上野に来園。空前のパンダブームが巻き起こる。
1980年2代目ペア、ホァンホァンとフェイフェイが来園。これ以降全て「貸与契約」となる。
1986年上野でトントンが誕生。日本初のパンダ繁殖成功。
1994年和歌山・アドベンチャーワールドで日中共同繁殖プロジェクトがスタート。永明が来日。
2000年神戸・王子動物園に震災復興のシンボルとしてタンタンが来園。
2008年上野のリンリンが死去。1972年以来初めて日本国内のパンダが「ゼロ」に(〜2011年)。
2011年東日本大震災の直前、上野にリーリーとシンシンが来園。
2017年上野でシャンシャンが誕生。再び全国的なパンダフィーバーが起こる。
2021年上野で双子のシャオシャオとレイレイが誕生。
2023年シャンシャン、そして和歌山の永明らが中国へ返還。神戸のタンタンが死去。
2024年上野の親パンダ、リーリーとシンシンが中国へ返還。
2026年(予定)上野のシャオシャオとレイレイが中国へ返還。再び国内パンダ「ゼロ」となる見込み。

終章:いつか、また、会える日まで

結論として日本からパンダがいなくなるのは、国際的な種の保存のルールと、そして冷え込んだ日中関係という二つの大きな流れの必然的な結果であった。

我々が享受してきた「日本でいつでもパンダに会える」という幸福な時代は、一度幕を下ろす。
次にこの愛すべき隣人が日本の土を踏むのはいつの日になるのか。それは両国の政治的な関係が雪解けを迎えるのを待つしかないのかもしれない。

それまで我々にできること。
それは間もなく故郷へと旅立つシャオシャオとレイレイの最後の日本での日々を温かく見守り、そしていつかまた会える日を信じて待ち続けることだけである。

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