1月12日は成人の日。
2022年4月の民法改正により成人年齢が「20歳」から「18歳」に引き下げられてから数年が経った。
しかしニュース映像や街中を見渡しても晴れ着やスーツに身を包んでいるのは、やはり「20歳」の若者ばかりだ。
横浜市をはじめとする多くの自治体では式典の名称こそ「二十歳の市民を祝うつどい」などに変更されているものの、対象年齢は頑なに「20歳」のまま維持されている。
「法律で18歳が“大人”になったのなら、式典も18歳でやるべきではないのか?」
その素朴な疑問の裏側には、現場が抱える「変えたくても変えられない3つの壁」と、成人年齢引き下げがもたらした少し皮肉な現実があった。
第一章:変えられない最大の壁──人生の節目が「受験」と重なる
自治体が式典の対象年齢を18歳に引き下げられない最も大きくそして現実的な理由は、そのタイミングにある。

18歳が迎える1月。それは多くの高校3年生にとって「大学入学共通テスト」を目前に控えた人生を左右する受験シーズンの真っ只中である。
もしこの時期に成人式を行ってしまえば「振袖を着て同窓会に参加している場合ではない」という事態になり、参加率は激減することが目に見えている。
また保護者にとっても「受験料や入学金」といった大きな出費と、「振袖のレンタル代やスーツ代」といったお祝いのための出費が全く同じ時期に重なってしまう。これは家計にとってあまりにも過酷な負担だ。
第二章:物理的に不可能 ──「幻のトリプル成人式」問題
仮にどこかの自治体が18歳への移行を強行しようとした場合、必ず一度だけ乗り越えなければならないハードルがある。

それは制度の移行期において「20歳・19歳・18歳」という3つの学年を同時に祝わなければならない年が発生するということだ。
しかしこれは物理的に不可能に近い。
- 会場不足: 横浜アリーナのような巨大な施設ですら、通常の3倍の人数を一度に収容することはできない。
- 衣装・美容室のキャパシティ崩壊: レンタル着物店や美容室、着付け師の数には限りがある。3学年分の需要が一度に押し寄せれば業界全体がパンクしてしまう。
この「トリプル開催」という非現実的な壁を前にして、結果としてほとんどの自治体が「今まで通り20歳で開催するのが最も平和で合理的」という結論に至ったのだ。
第三章:「乾杯できない成人式」という中途半端さ
法律と現実の「ねじれ」は式典後の楽しみにも影響を及ぼす。
法律上は18歳で成人(大人)と認められるが、国民の健康への配慮から「飲酒」と「喫煙」はこれまで通り20歳になるまで禁止されたままである。

成人式の大きな醍醐味の一つは、式典後に行われる同窓会で友人たちと初めて堂々とお酒を酌み交わすことにある。しかし18歳を対象とした式典ではそれができない。
「大人として契約はできるけれど、乾杯はできない」。
この中途半端な状態よりも、名実ともに全ての制限が解除され完全な自由を手にする「20歳」という年齢の方が、祝う側にとっても祝われる側にとってもより晴れやかな気持ちで節目を迎えられるという側面も大きい。
成人式が「18歳」で開催できない三つの現実的な“壁”
- 「受験」との完全な衝突: 18歳が迎える1月は「大学入学共通テスト」の真っ只中。式典どころではない。
- 「トリプル成人式」問題: 制度の移行期に発生する「20歳・19歳・18歳」の3学年同時開催は、会場のキャパシティや着物・美容室の予約の観点から物理的に不可能。
- 「乾杯できない成人式」という中途半端さ: 法律上「飲酒」と「喫煙」は20歳まで禁止されたまま。式典後の同窓会で祝杯ができない。

「なるほどだブー!言われてみれば確かに受験の直前に振袖を着て式典に出てる場合じゃないんだブー!それに3学年まとめてお祝いするなんて絶対に無理だブー!法律を変えるだけじゃダメだったんだブーね…。」
第四章:「18歳成人」で増えたのは、権利よりも“トラブル”だった?
では成人年齢を18歳に引き下げたことで一体何が変わったのだろうか。
真っ先に挙げられるのは「選挙権」であるが、それ以上に社会に大きな変化をもたらしたのは「契約トラブル」の増加という少し皮肉な現実だった。

かつては未成年者が親の同意なく結んでしまった契約は後から取り消すことができた(未成年者取消権)。しかし現在は18歳になったばかりの高校3年生でも、自分の意思だけでクレジットカードを作成したり高額なローン契約を結んだりすることが可能だ。
その結果、社会経験の浅い18歳をターゲットにした「マルチ商法」や「高額な美容医療契約」「投資詐欺」といった消費者トラブルが実際に増加傾向にある。

「ええーっ!?大人になったっていうお祝いどころか、悪い大人に騙されるリスクの方が増えちゃったんだブーか…。『18歳になったからもう一人で契約できるよ』って言われても、怖いだけだブー…。」
終章:「18歳成人」が我々に問いかけるもの
結論として法律上は「18歳」が大人とされながらも、成人を祝う社会的な儀式は依然として「20歳」という年齢に留まり続けている。
それは受験という人生の大きな節目との衝突を避け、そして名実ともに全ての権利と責任を手にするその瞬間こそを祝福したいという、我々の社会の合理的で温情的な判断の結果であった。
しかしその一方で「18歳成人」という制度変更がもたらした新たな影。
権利の拡大が必ずしも若者の幸福に直結しないという厳しい現実。
「式典は20歳で華やかに祝い、18歳では契約の怖さを学ぶ」。
今の日本における「成人」の定義は、お祝いムードとは裏腹に非常にシビアで複雑なグラデーションの中にいるのかもしれない。



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