小さな丸い目で、ひたすら毛繕いを続けるハムスター。
カラカラと鳴る回し車。
餌箱に顔を突っ込み、頬袋をパンパンに膨らませる姿──
私たちはそんな彼らを、
「可愛い」「癒される」と見守る。
けれどふと、思ってしまう。
ケージの中にいるハムスターって、楽しいのだろうか?
第1章:ハムスターの“1日”は3パターンで構成されている?
観察していると、多くの時間はこの3つに集約されている。
- 寝る
- 食べる
- 回す(回し車を)
あとは、ときどき毛繕いをして、
トイレの隅でぼーっとして、
気まぐれにケージの天井を見上げる。
それだけ。
外に出ることはなく、知らないまま一生を終える。
私たちが与える床材の感触と、
ひまわりの種の味、それが彼らの「世界」だ。
第2章:「外の世界を知らない」ことは不幸なのか?
ここに人間の視点からの錯覚がある。
「こんな狭い空間で、飽きないのだろうか?」
「外の世界に出たいと思わないのか?」
だが、ハムスターにとっては違うかもしれない。
彼らには「外」という概念がない。
ケージこそが“宇宙”であり、その中で生まれ、暮らし、終わっていく。
むしろ、広大すぎる世界は危険の塊であり、
野生下では寿命も短く、天敵に怯える日々だったのだ。
ケージは“閉じ込められた場所”ではなく、
ある意味で「守られた楽園」なのかもしれない。

「それって、人間にも似てる気がするブー…」
第3章:「狭さ」や「単調さ」は、本当に悪いこと?
現代人にも言えることだ。
毎日、職場と家を往復し、同じような作業を繰り返す。
スマホを見て、SNSを眺めて、ひと息ついてまた繰り返す。
「もしかして、自分も“ケージの中のハムスター”なんじゃないか?」
でも、それは不幸だろうか?
- 自分の場所があって
- 食べ物があって
- やるべきことがあって
- 毛繕いのような“心を整える行為”がある
それは、案外豊かで穏やかな生活なのかもしれない。
第4章:それでも「外に出たくなる」ハムスターがいる理由
ときどき、ケージの隙間を登り続けようとする子がいる。
手を差し伸べると、登ってくる。
脱走して、キッチンの隅でじっとしていることもある。
「この子は、自由を求めてるんじゃないか?」
…でも、その子も結局また、
ケージに戻されて、丸くなって眠る。
自由の味を知っても、
そこが安全で、自分の居場所ならば戻ってくる。
まとめ:「狭さ」のなかにも、物語はある
ケージの中にいるハムスターは、もしかしたら、
「狭いなりに生きること」に満足しているのかもしれない。
そこには、
- 飽きるほど同じ風景
- 気まぐれな飼い主の手
- 無意味に見える回し車
…けれど、彼らなりの暮らしと秩序が確かにある。
それは、
外の世界を知らないからこそ守れる平穏なのかもしれない。

「“ケージの中”かどうかより、“心がどこにいるか”が大事なんだブー…」
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