「終 制作・著作NHK」
──かつて、NHKの番組が終わるとき、必ずといっていいほど目にしたこのテロップ。

スタッフロールが流れ終え、静かにフェードアウトする画面に、落ち着いた音楽、そして「終」の一文字。それはまるで、公共放送ならではの“おごそかさ”や“けじめ”を視覚化したようなエンディングだった。
だが、近年この「終」の文字が、ひっそりと姿を消している。

「えっ…そういえば最近見ないブー…あの“終”って、番組の締めくくり感あったのに…」
現在、多くのNHK番組では「制作・著作 NHK」だけが表示され、「終」は付けられていない。また、エンドロール中にこのクレジットが表示される番組では、まるで民放番組のように、スタッフロールが終わると同時にブツッと番組が終わることすらある。
かつての「終 制作・著作NHK」はなぜ消えたのか?そこにはどんな意図と背景があるのか?
今回はこの“終わり方の変化”を通じて、NHKが今どのような放送戦略と視聴者対応の変化を遂げているのかを探ってみたい。
【1】「終 制作・著作NHK」は何を意味していたのか?
まず、かつての慣例「終 制作・著作NHK」は、単なるクレジット表示ではなく、番組が完結し、公共放送としての責任を持って送り届けたという“形式美”だった。
「終」の文字には、「ここで番組は終わりです」という視聴者への明示的な合図が込められていた。
特にドラマやドキュメンタリーなどでは、内容に余韻があることが多いため、あの「終」が視聴者の気持ちを静かに切り替え、現実世界へと戻す“橋渡し”の役割を果たしていた。

「あれを見ると、“ああ、終わったんだな…”って、こっちの気持ちもちゃんと着地できたブー…」
この習慣はNHK特有のものであり、民放の「次回予告」や「提供クレジット」のようなエンタメ的要素とは一線を画す、“品位”を感じさせる演出でもあった。
【2】なぜ「終」がなくなったのか?
では、なぜこの象徴的な「終」は姿を消してしまったのか。
ここには複数の要因が複雑に絡んでいると考えられる。
なお、「終 制作・著作NHK」の表示が本格的に消え始めたのは、2021年4月の番組改編頃からとされている。SNS上でも「この春から見かけなくなった」という声が多数寄せられており、演出方針や視聴スタイルの変化を反映したタイミングと見られている。
(1) 番組の“連続性”が重視される時代に
まず第一に、視聴導線の変化がある。
過去は1本1本の番組が独立していたが、今やテレビは連続して流れ続けるメディアとして機能しており、「次の番組へどう繋ぐか」が編成上の大きなポイントになっている。
「終」で一度気持ちが切れてしまうよりも、テンポよく次の番組へ接続した方が“離脱”を防げる。視聴者のリモコン操作を最小限に抑えるという点でも、「終」は省略された方が都合が良いのだ。

「たしかに“終”が出ると“あ、チャンネル変えようかな”ってなるブーもんね…」
(2) ネット視聴を前提とした編集手法
NHKは今、NHKプラスやNHKオンデマンドといったネット配信との連携を強化している。
これらの配信では、番組の冒頭と終了時に“オリジナルクレジット”が挿入されることがあるため、テレビ版の「終」はむしろ邪魔になる。
また、ネット配信では「次のコンテンツ」へ自動的に切り替える設計も多く、視聴者の流れを止めないために「終」という明示は必要とされていないのだ。
(3) 番組尺の有効活用
「終」の表示には最低でも数秒を要する。それを削ることで、少しでも番組内容に時間を割けるという判断もある。
1秒でも長く、映像を届けたい──そんな演出側の思いが、「終」の排除という形に現れている可能性もある。
【3】民放化?それとも“合理化”?
一部では「NHKが民放みたいになってきた」との声もある。
確かに最近のNHK番組は、スタッフロールを音楽付きで流しながら「次回予告」や「別番組のお知らせ」を画面に被せたりする手法が増えており、演出的にはかなり民放に近づいているようにも見える。
しかし、これを単に「民放化」と切り捨てるのは早計だ。
むしろこれは、放送と配信をまたぐマルチメディア時代の“合理化”と見る方が正しい。
「終」をなくすことで、
- 配信映像にそのまま使える
- 番組の終わり方を柔軟に演出できる
- 時間を効率的に使えるといったメリットが生まれる
つまり「終」の消失は、時代に即した“構造的変化”とも言えるのだ。
【4】それでも残る「終」へのノスタルジー
とはいえ、長年「終」を見て育った世代には、あの一文字に特別な感情を抱く人も多い。
番組が静かに終わることで、自分の中にも何かが“着地する”。そうした体験は、放送という“儀式”を通じてしか得られないものだった。

「あの“終”を見て、番組を最後まで見たって感じがしたブーよね…」
いまや、番組は“静かに終える”のではなく、“切り替わる”。
そこに少し寂しさを覚えるのもまた、テレビという文化を愛してきた証拠だろう。
【まとめ】
「終 制作・著作NHK」が消えたのは、単なる演出の変化ではない。そこには、
- 番組同士の接続性を高める放送戦略
- 配信時代における合理性
- 演出の自由度を広げる設計思想
こうした現代的な要請が反映されている。
“終わり”をあえて見せないことで、視聴の流れを止めず、そのまま次へと自然にバトンを渡す。
それはもはや“番組”という単位ではなく、「連なるコンテンツ空間」をどうデザインするかという、NHKの新しい挑戦なのかもしれない。
NEWS OFF的に言えば──
でも、「終わらせること」にしか宿らない余韻も、確かにある。
テレビが“終”を捨てた今、私たち自身がどこで「終わった」と感じるか。
それを決めるのは、きっと、画面の向こうではなく、こちら側なのかもしれない。
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