2025年、秋。
日本中の誰もが見慣れた、あの「赤い箱」の中身が、10年ぶりに大きく変わった。多くの人は、その変化に気づかないかもしれない。しかし、江崎グリコが発売60年目を迎えた「ポッキーチョコレート」と「ポッキー極細」に施したのは、パッケージの小変更などではない。
チョコレートの原料であるカカオ豆の選定から、それを支えるプレッツェルの生地配合に至るまで、全てを根本から見直すという、大規模なリニューアルであった。
昭和、平成、令和と、三つの時代を通じて、日本の「おやつの風景」そのものであり続けたポッキー。
なぜ、今、その完成されたと思われた味に、あえて踏み込む必要があったのか。
本稿は、この10年ぶりに行われた刷新の背景にある、開発者たちの緻密な素材探求と、現代の消費者心理を的確に捉えた江崎グリコのブランド戦略を、多角的に解き明かすレポートである。
第一章:すべての始まり──“持ち手”というアイデア
ポッキーの物語は、1966年のある課題から始まった。それは、当時のチョコレート市場の常識を覆す、ささやかだが、極めて重要な発想の転換であった。

- プリッツ+チョコ=?
- 1960年代、日本のチョコレートといえば「板チョコ」が主流であった。そんな中、江崎グリコ社内では、よりスナック感覚で気軽に食べられる新しいチョコスナックの開発が模索されていた。
- 当時、同社には既に「プリッツ」というヒット商品があった。このスティックスナックにチョコレートをかければ、美味しいものができる。アイデアはシンプルだったが、実現には一つの大きな壁があった。
- 「手が汚れる」という問題だ。
- スティック全体をチョコで覆えば、どこを持っても手がベタベタになる。この単純な問題が、開発の大きな壁として立ちはだかった。
- 「全部にかけなければ、いいのでは?」
- 開発が行き詰まる中、ある担当者から「そもそも、全部にチョコをかける必要はないのでは?」という声が上がった。まさに逆転の発想であった。“持つところ”をあえて残す。このアイデアによって、現在のポッキーの原型が誕生した。
- 食べる時の「ポッキン」という軽快な音から名付けられたこの商品は、誰かと「分け合いたくなる」新しい時代のチョコレートとして、広く浸透していったのである。

「ええーっ!?ポッキーのあの“持つところ”って、そんな単純な理由で生まれたんだブー!?すごい発明だと思ってたけど、始まりは『手が汚れちゃう!』っていう悩みだったんだブーね!」
第二章:進化の系譜──変わり続けることで「定番」を守るという哲学
多くの人が「昔から変わらない味」と記憶するポッキーだが、その実態は異なる。ポッキーは誕生以来、常に時代のニーズを反映し、細かな改良を繰り返してきた、たゆまぬ進化の歴史を持つ商品だ。
ロングセラー商品には、二つの道がある。
- 一つは、味を変えずに「伝統」を守る道。
- もう一つは、ポッキーのように、時代に合わせて「変わり続ける」ことで、「定番」であり続ける道だ。
ポッキーの「変わらない美味しさ」という記憶は、実は、時代の変化に合わせて、常に最適化され続けてきた、絶え間ない「進化」の産物なのである。
江崎グリコのマーケティング担当、鈴木葵氏は、「世代や背景を問わず、誰もが気兼ねなく分ち合えるような、『Share happiness!』のかたちを目指しました」と語る。
今回のリニューアルもまた、この一貫した理念の、現代における最適解を探る旅であったのだ。
第三章:刷新の核心──アマゾンの熱帯雨林から始まった、素材探求の旅
今回の10年ぶりのリニューアルは、過去の改良とは一線を画す、根本的なものであった。
開発チームは「なぜ、この原料なのか」「もっと良い素材はないのか」という問いを、ゼロベースで突き詰めていった。

- チョコレートの再設計:カカオ豆を、その源流まで追う
- 新しい味の核となるチョコレートの改良は、世界中から30種類以上のカカオ豆を取り寄せ、比較検証することから始まった。
- 最終的には、研究室での作業に留まらず、アマゾンの熱帯雨林にあるカカオ農園にまで直接赴き、生産者との対話を通じて、目指す品質のカカオ豆にたどり着いたという。選び抜かれたのは、スパイシーさとフルーティーな香りを併せ持つカカオ。これを複数ブレンドし、焙煎温度を1℃単位で調整することで、香りを最大限に引き出した。
- 香りを活かすための“錬金術”、「追いマス製法」
- 最高の素材を、最高の形で届けるため、製造工程も見直された。通常、一度に投入されるカカオマスを、あえて後の工程で分割投入する「追いマス製法」を新たに採用。
- これにより、カカオが持つ繊細な香気成分が、製造時の熱で飛んでしまうのを抑制し、風味をより豊かに、そして鮮烈に感じられるようにした。これは、素材のポテンシャルを、一滴残らず読者に届けるための、執念の技術である。
- プレッツェルの進化:主役を支える、最高の脇役へ
- 主役であるチョコレートの進化に伴い、それを支えるプレッツェルも再開発された。数百回にも及ぶ試作の末、新たに採用されたのは、国産の全粒粉と(ポッキーチョコレートのみ)発酵バター。これらによって、香ばしい風味と食感の良さを向上させた。小麦や砂糖の種類まで細かく見直し、「新しいチョコレートの風味を最大限に引き立てる」という二つの目的を両立させたのである。

「ひえーっ!カカオ豆を求めてアマゾンまで行っちゃうなんて、すごい情熱だブー!プレッツェルも数百回試作…!僕たちが食べてる一本一本に、とんでもないドラマが詰まってるんだブーね!」
第四章:「なぜ、今だったのか」──時代が求めた“安心”という価値
これほど大規模な刷新が、なぜ発売60年目というタイミングで行われたのか。その背景には、現代の消費者が持つ、新しい価値基準があった。
- 「安心して選べる」ことへの、強い渇望
- 近年、消費者の原材料に対する関心は著しく高まっている。「何からできているか」を重視し、「安心して選べる商品」を求める傾向が強くなった。
- この変化に対応するため、江崎グリコは、使用する素材を一から見直し、より「シンプルな設計」へと転換する。これは、誰もが気兼ねなく手に取り、分かち合えるように、という「Share happiness!」の現代的な実践であった。開発担当の鋤本浩司氏は、「どなたにもおすすめすることができる自信作」と、その胸を張る。
- ブランドの“ど真ん中”から、変える
- ポッキーには多くのフレーバーがあるが、今回の対象は基本の「ポッキーチョコレート」と「ポッキー極細」の2品に絞られた。
- これは「ブランドの中心である2品のリニューアルを行うことで、ポッキーブランドとしての基本姿勢を示すことにつながる」という、明確な意図がある。まずブランドの根幹を改良することで、全体の価値と信頼性を高める。江崎グリコの、強い決意表明なのである。
終章:60年目の、新しい一本
ロングセラー商品には、二つの道がある。一つは、味を変えずに「伝統」を守る道。もう一つは、ポッキーのように、時代に合わせて変わり続けることで「定番」であり続ける道だ。
ポッキーが60年間、多くの人々のそばにあり続けたのは、決して過去の成功に満足することなく、常に最高の「Share happiness!」を追求し、進化を続けてきたからに他ならない。
今回のリニューアルは、これからの時代に向けた、ブランドの新たな意思表示である。60年という歴史を持ちながら、今の消費者に真摯に向き合い、自らを刷新することを恐れない。その姿勢こそが、ポッキーがこれからも愛され続ける理由なのだろう。
今日、私たちが手に取るその一本は、昨日までのポッキーとは違う。アマゾンのカカオ農園から始まった探求の物語と、開発者たちの数百回に及ぶ試行錯誤、そして時代の変化を捉えた企業の思想が、そこに詰まっている。一口食べれば、その「違い」に、そして変わらぬ「ポッキーらしさ」に、きっと気づくはずだ。



コメント