5月5日は「こどもの日」、そして「端午(たんご)の節句」である。
ゴールデンウィークの青空を悠々と泳ぐ「鯉のぼり」は、日本の春から初夏にかけての代表的な風物詩だ。
しかし、なぜ「空」に「水中の生き物(鯉)」を飾るのだろうか。
そこには、中国から伝わった伝説と、日本の武士の誇り、そして江戸の町人たちの「負けん気」が生み出した、極めてダイナミックな歴史の変遷が隠されている。
本稿は、鯉のぼりという日本独自のアイコンに秘められた「出世への執念」と、端午の節句のルーツを紐解くレポートである。
第一章:「端午の節句」のルーツ──悲劇の天才政治家と「ちまき」
まず、5月5日に行われる「端午の節句」そのものの起源を確認する。

- 五節句と邪気払い
- 古代中国には、奇数が重なる日(1月1日、3月3日、5月5日など)を「五節句」として祝う文化があった。5月5日の「端午」は、季節の変わり目で病気や災厄が起こりやすいとされ、強い香りを放つ「菖蒲(しょうぶ)」や「蓬(よもぎ)」を用いて邪気を払う行事が行われていた。
- 屈原(くつげん)伝説
- この日が特別な意味を持つようになったのは、中国の楚の時代。周囲に妬まれて失脚し、5月5日に川に身を投げてしまった非業の天才政治家・屈原の伝説に由来する。
- 人々は彼の死を悼み、供養のために川に餅を投げ入れた。これが現在私たちが食べている「粽(ちまき)」のルーツであるとされている。

ブクブー
「ええっ!ちまきって、川に飛び込んだ政治家さんのための供え物だったんだブー!?美味しいお菓子だと思ってたのに、ちょっと悲しい由来だブー…。」
第二章:日本での変化──ダジャレから始まった「男の祭り」
中国から伝わったこの「厄払いの日」は、日本において独自の進化を遂げる。

- 「菖蒲(しょうぶ)」=「尚武(しょうぶ)」
- 武士の時代(鎌倉〜室町時代)になると、邪気払いに使われていた「菖蒲」の音が、武道・軍事を重んじるという意味の「尚武」と同じであることから、ダジャレ(語呂合わせ)的に結びついた。
- こうして、端午の節句は単なる厄払いから「男子のたくましい成長を願う武士の行事」へと意味を強めていく。

ブクブー
「またダジャレだブー!日本人は本当に語呂合わせが好きだブーね(笑)。」
第三章:武士の「のぼり」から、町人の「鯉」へ
では、肝心の鯉のぼりはどのようにして生まれたのか。

- 武士の特権「吹き流し」
- 室町〜戦国時代の武家では、端午の節句になると、玄関先に戦の時に使う「旗指物(のぼり)」や「吹き流し」を立て、家(男児)の誇りを象徴する風習があった。
- 江戸の町人たちの反骨精神
- 江戸時代になり平和が訪れると、経済力を持った町人たちが「武士だけが立派なのぼりを立てるのはつまらない」と考えた。
- そこで町人たちは、武士の「のぼり」に対抗して、中国の伝説である「登竜門」にあやかった紙の魚を空に掲げた。
- 「登竜門」の奇跡
- 中国の黄河にある竜門という激流の滝を、「鯉が登りきると、天に昇って龍(ドラゴン)になる」という伝説である。つまり、鯉は「どんな困難でも乗り越えて大出世する」という最強のシンボルだったのだ。
- 「水の中の魚が空を泳ぐ」というありえない構図は、「うちの息子も、想像を絶する飛躍(出世)をして世に出てほしい」という、親の強烈な願いの可視化だったのである。
終章:こどもの日への拡張
戦後、5月5日は「こどもの日」として国民の祝日に制定された。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」という趣旨に基づき、現在は男女関係なくすべての子どもの成長を祝う日へと再定義されている。
それに伴い、かつて「男子の出世」の象徴であった鯉のぼりも、家族の絆や子ども全体の成長を願うシンボルへと意味を拡張し、現代の空を泳ぎ続けている。
5月5日。
五月晴れの空を見上げ、風を孕んで泳ぐ巨大な魚を見たとき。そこには、武士のプライドに対抗した江戸の町人たちの知恵と、我が子に龍になってほしいと願った、親の果てしない愛情が詰まっていることを思い出してほしい。



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