2012年に開業し、高さ634メートルを誇る世界一高い電波塔「東京スカイツリー」。今や東京タワーと並ぶ首都のシンボルであるが、近年、インターネット上である一枚の絵が大きな話題を呼んだ。
それは、今から約200年前の江戸時代に描かれた浮世絵である。
画面の左奥、隅田川の向こう岸に、現代の東京スカイツリーと瓜二つの「巨大で細長い塔」がそびえ立っているのだ。
「江戸時代にタイムトラベラーがいたのか?」「絵師が未来を予知していたのではないか?」
まるでオーパーツ(その時代にあるはずのないもの)のようなこの現象は、多くの人々の知的好奇心を刺激した。
本稿は、江戸後期の天才浮世絵師が残したこの不可解な作品の真実と、その塔の「現実的な正体」について、歴史と美術の観点から解き明かすレポートである。
第一章:「奇想の絵師」と奇跡のシンクロニシティ
謎の塔が描かれているのは、江戸時代後期の浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)が1831年(天保2年)頃に描いたとされる名作『東都三ツ股の図』である。

- 歌川国芳という人物
- 国芳は、当時の常識にとらわれない斬新でダイナミックな構図を得意とし、「奇想の絵師」と称された天才クリエイターである。(無類の猫好きとしても知られ、ユーモア溢れる作品を多数残している)
- 場所と高さの「完璧な一致」
- この絵が都市伝説として持て囃された最大の理由は、塔が描かれている場所である。絵の視点(現在の中央区・江東区付近から隅田川越しに見る風景)から推測すると、塔の位置は現在の「墨田区押上」、つまり本物の東京スカイツリーが建っている方角とほぼ完全に一致する。
- さらに、周囲の平屋建ての家々や火の見櫓(ひのみやぐら)と比べても、その塔は異常なほど高く、鋭く天を突くように描かれている。

「ええーっ!方角も形もピッタリ一致してるなんて怖すぎるブー!絶対に未来を見て描いたとしか思えないブー!」
第二章:塔の正体は何か?──浮上する2つの現実的仮説
「未来を透視した」というオカルト的な説はロマンに溢れているが、歴史・美術の専門家たちは、江戸時代に実在した建築物に基づく現実的な解釈を提示している。

- 井戸掘りのための「櫓(やぐら)」説
- 当時、生活用水を確保するために「上総掘り(かずさぼり)」と呼ばれる技術で深井戸を掘ることがあった。地中深く掘り進める際、重い鉄管や竹ヒゴを吊り下げて落とすため、地上には極めて背の高い木製の掘削用タワー(櫓)が組まれた。その巨大な足場が描かれたのではないかという説である。
- 勧進相撲の「櫓」説
- 現在の両国国技館の近くにある「回向院(えこういん)」などでは、寺社の資金集めを目的とした「勧進相撲(かんじんずもう)」が行われていた。興行を人々に知らせるため、太鼓を叩くための非常に高い櫓が仮設されることがあり、そのシルエットが描かれたとする説である。

「なるほどだブー!江戸時代にもあんな高いタワーみたいな建物が実際にあったんだブーね。でも、それにしても高すぎないかブー?」
第三章:なぜこれほど「巨大」に描かれたのか?──国芳の魔法
では、現実の井戸掘り櫓や相撲櫓であったとして、なぜ周囲の風景からこれほど浮き立つような「異常な高さ」で描かれたのだろうか。ここには、国芳のクリエイターとしてのしたたかな計算が働いている。

- 「遠近法」の誇張と演出
- 国芳は当時、日本に入ってきたばかりの西洋画の技術である「透視図法(遠近法)」を独自に研究し、作品に取り入れていた。
- 彼は目の前の風景をカメラのように正確に写し取るのではなく、遠くにある特徴的な建造物をあえて極端に高く、細長くデフォルメ(誇張)して描くことで、画面全体に縦のダイナミズムと奥行きを生み出そうとしたのだ。
つまり、江戸時代に実在した作業用の塔を、国芳が持ち前の「奇想のセンス」でドラマチックに誇張して描いた結果、そのシルエットが「200年後に同じ場所に建つ巨大電波塔(スカイツリー)」と奇跡的に完全一致してしまったというのが、このミステリーの真相なのである。
終章:時代を超えたアートの予言
結論として、『東都三ツ股の図』に描かれた塔は、宇宙人のテクノロジーでも未来予知でもなく、江戸の職人たちが建てた「木造の櫓」と、天才絵師の「演出力」が生み出した偶然の産物であった。
しかし、その「偶然」という言葉で片付けるには、あまりにも出来すぎている。
国芳が画面の奥に描き込んだ「天を突く巨大な塔」のビジョンは、約200年の時を経て、現代の技術者たちによって同じ場所に現実の姿として屹立することになったからだ。
東京の空を見上げる時、はるか昔の江戸の人々もまた、同じ場所で「巨大な塔」を見上げていたのかもしれない。
国芳の浮世絵は、私たちにそんな時代を超えたロマンを信じさせてくれる、色褪せないアートの魔法なのである。



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