まもなく6月の第3日曜日、「父の日」がやってくる。
母の日といえば、誰もが真っ先に「赤いカーネーション」を思い浮かべるだろう。花屋の店頭も真っ赤に染まり、プレゼントの象徴として完全に定着している。
しかし、「父の日に贈る花は何か?」と聞かれて、即答できる人はどれくらいいるだろうか。ネクタイや酒などの実用品が選ばれがちな父の日だが、実は母の日と同じように、明確な「シンボルフラワー」が存在する。
結論から言えば、父の日の花は「バラ」である。
なぜ、情熱的でロマンチックなイメージの強いバラが、父親への感謝を象徴する花となったのか。
本稿は、その裏に隠された一人の女性の切実な家族愛と、日本独自の「黄色」というイメージカラーが定着したマーケティングの歴史を解き明かすレポートである。
第一章:すべては「男手ひとつで育ててくれた父」への思いから
父の日の歴史とバラの関係は、今から100年以上前のアメリカに遡る。

- 1910年、ワシントン州での集会
- 母の日がアメリカで普及し始めた頃、ワシントン州スポーケンに住むソノラ・スマート・ドッドという女性が、「母を讃える日があるのなら、父に感謝する日も作ってほしい」と教会に働きかけたのが「父の日」の発端である。
- 6人の子供を育て上げた退役軍人
- ソノラの父親は南北戦争の退役軍人であった。妻を早くに亡くした後、彼は再婚することなく、男手ひとつでソノラと5人の男の子、計6人の子供たちを必死に育て上げた。
- 自らの青春を犠牲にして家族を守り抜き、この世を去った父親。ソノラはその深い愛情に対する感謝と尊敬の念を形にするため、父の日の制定を強く訴えたのである。

「ええっ!父の日の始まりは、一人のお父さんの頑張りに感謝する娘の愛だったんだブー!泣けるエピソードだブー…!」
第二章:なぜ「バラ」だったのか?──生死を分ける色の意味
ソノラが提唱した初めての父の日の集会で、彼女はある行動をとった。

- 墓前に供えられた「白いバラ」
- 彼女は、亡き父の墓前に「白いバラ」を一輪供えた。生前、父親がバラの花を愛していたからだとも言われている。
- このソノラの行動がきっかけとなり、アメリカでは「父の日にはバラを贈る」という文化が根付いていった。
- 健在なら「赤」、亡き父には「白」
- その後、母の日のカーネーション(健在なら赤、亡き母には白)の風習に倣い、父の日においても「父親が健在であれば赤いバラを、亡くなっている場合は白いバラを胸に飾る(または贈る)」というルールが確立されていった。

「赤いバラには『生きてるお父さんありがとう』って意味があったんだブーね。愛の告白だけじゃなくて、家族への愛の象徴だったブー!」
第三章:日本で「黄色い花」が定着した理由
アメリカでは赤や白のバラが定番だが、現在の日本のスーパーや花屋の父の日コーナーを見ると、バラに限らず「ヒマワリ」など「黄色い花」が圧倒的に多いことに気づくはずだ。
なぜ日本では「黄色」になったのか。そこには、日本独自の啓蒙活動と商業的なマーケティングが存在する。

- 「父の日黄色いリボンキャンペーン」
- 1981年(昭和56年)、日本ファーザーズ・デイ委員会(日本メンズファッション協会)が設立され、父の日を啓蒙するための「父の日黄色いリボンキャンペーン」が開始された。
- 黄色の持つ意味
- 黄色は、イギリスなどでは古くから「身を守るための色」とされ、アメリカでは戦地へ向かう愛する人の無事を願う「黄色いリボン」の文化があった。
- 日本ではこの意味を拡大解釈し、黄色を「愛と信頼と尊敬を表す色」「家族の幸せを願う色」として大々的にプロモーションしたのである。
- このキャンペーンが見事に功を奏し、日本では「父の日=黄色」というイメージが定着。結果として、「黄色いバラ」や、季節感の合う「ヒマワリ」が定番ギフトとして選ばれるようになった。
終章:形を変えて受け継がれる感謝
結論として、父の日の花がバラである理由は、「男手ひとつで子供を育て上げた父親に対し、娘が感謝を込めて墓前に供えた一輪の白いバラ」に由来していた。
現在の日本では、赤いバラではなく「黄色い花」や「お酒」「おつまみ」が主流となっているが、それは時代や風土に合わせて感謝の表現方法が最適化(ローカライズ)された結果に過ぎない。
まもなく迎える今年の父の日。
何を贈るにせよ、その根底には100年前のソノラと同じ「無償の愛に対する感謝」が流れている。照れくさくて言葉にできない思いがあるのなら、今年は歴史に倣って、一本のバラを添えてみてはいかがだろうか。



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