駅伝と聞けば、正月の箱根駅伝や、学校・実業団のチームがたすきをつなぐ姿を思い浮かべるだろう。
一人では走り切れない長い道のりを、複数の選手が分担して進む。日本で生まれたこの競技は、現在も多くの人に親しまれている。
しかし、その最初の大会は、いまの感覚でも驚くほど大きな規模だった。
スタートは京都・三条大橋。ゴールは東京・上野不忍池。約500キロを23区間に分け、昼も夜も走り継いだのである。
大会が開かれたのは、1917年4月27日から29日にかけて。箱根駅伝が始まる3年前のことだった。
なぜ、最初からこれほど長いレースを企画したのか。そして、走る競技なのに、なぜ「駅伝」という名前なのか。
本稿は、京都と東京を結んだ最初の大会から、現在につながる駅伝の成り立ちを読み解くレポートである。
第一章:23人でつないだ、京都から東京への道
最初の大会は「東海道駅伝徒歩競走」と呼ばれた。
1917年4月27日午後2時、京都の三条大橋を出発し、東京へ向かうレースが始まった。

- 出場したのは、東西の2チーム
- 東京高等師範学校や早稲田大学などの学生らによる「関東組」と、愛知一中の生徒や関係者を中心とした「関西組」が対決した。各チームの選手は23人。現在の大学対抗戦とは異なる、東西対抗の大会だった。
- 夜になっても、レースは続く
- 昼間だけ走って翌朝に再開する方式ではない。選手を交代しながら、夜間も東京へ向かって走り続けた。優勝した関東組の所要時間は、41時間44分とされている。
なお、距離には資料によって違いがある。京都市の紹介では508キロ、箱根駅伝の公式サイトでは516キロと説明されている。本稿では、その規模を「約500キロ」と表している。
どちらの数字でも、現在の箱根駅伝の往復約220キロの2倍以上だ。
駅伝は、小さな大会から少しずつ距離を伸ばしたのではなく、京都と東京を結ぶ長距離のリレーとして始まったのである。

「ええっ!夜も寝ないで走り続けてたんだブー!?街灯もない時代に、提灯とか持って走ってたのかな…過酷すぎるブー!」
第二章:なぜ京都から東京まで走ったのか
この大会は、単に長距離走の記録を競うために開かれたものではない。
背景には、東京に都が定められて50年という節目を祝う催しがあった。

- 博覧会に合わせた企画
- 読売新聞社は、上野で開かれた東京奠都50年記念の大博覧会の協賛イベントとして、東海道を走り継ぐ大会を企画した。
- ゴールは、博覧会の正面玄関
- 到着地点は上野不忍池の博覧会正面玄関だった。京都から東京への道のりが、そのまま記念行事へとつながるコースになっていた。
長い距離には、二つの都市を結ぶという意味があった。
競技としての勝敗だけでなく、記念行事にふさわしい規模と、各地を通過していく見せ場を持った企画だったのである。
新聞社が大会を主催したことも、この出発点の特徴だ。スポーツの競技会であると同時に、多くの人へ伝え、関心を集める催しとして駅伝は生まれた。

「新聞社が考えた巨大なイベントだったんだブーね!だから『京都から東京』っていう分かりやすくて派手なルートになったんだブー!」
第三章:「駅伝」の「駅」は、鉄道の駅ではない
駅伝の選手は、駅のホームを走るわけではない。それなのに、なぜ名前に「駅」が入っているのか。
ここでいう駅は、現代の鉄道駅ではなく、昔の交通・通信を支えた中継拠点に由来する。

- 道沿いに置かれた「駅」
- 古代の幹線道路には、役人の移動などを支えるための駅が設けられ、馬が用意されていた。長い道のりを進むために、中継地点で馬などを替える仕組みがあった。
- 中継する仕組みを、競技の名前に
- 箱根駅伝の公式サイトでは、1917年の大会に際し、武田千代三郎が「駅馬」「伝馬」からヒントを得て「駅伝」と命名したと紹介している。
一人が最初から最後まで走るのではなく、次の人へつないで目的地へ進む。その形に、昔の交通・通信の仕組みを重ねた名前だった。
いま私たちが見る中継所とたすきの受け渡しも、こうした「長い道を、交代しながらつなぐ」という考え方の延長にある。
第四章:記念行事のレースが、箱根駅伝の原型になった
京都から東京への大会は、その後の駅伝にも影響を与えた。
箱根駅伝の公式サイトは、この東海道駅伝を、箱根駅伝の「原型」と位置づけている。

- 世界に通用する選手を育てたい
- 箱根駅伝の創設を後押ししたのは、金栗四三らの長距離選手育成への思いだった。金栗は1912年のストックホルム五輪に出場し、世界との力の差を経験していた。
- 1920年、4校で始まった箱根駅伝
- 東海道駅伝の成功を受け、金栗らは学校に参加を呼びかけた。早稲田、慶應、明治、東京高等師範の4校が応じ、1920年2月14日から15日に第1回大会が行われた。
最初の東海道駅伝は、京都から東京へ向かう東西対抗の記念大会だった。一方、箱根駅伝は、東京と箱根を往復する学校対抗の競技として始まった。
コースも参加の単位も違うが、長距離を分担して走り継ぐという基本は共通している。
壮大な記念行事で示された競技の形が、選手を育てる継続的な大会へとつながったのである。
終章:たすきの先にある、約500キロの出発点
最初の駅伝は、1917年に京都・三条大橋から東京・上野不忍池まで、約500キロを昼夜走り継ぐ大会だった。
東京奠都50年の記念行事として企画され、昔の交通・通信の中継制度に由来する「駅伝」という名前がつけられた。
その大会は、3年後に始まる箱根駅伝の原型となった。
記念行事と競技、歴史に由来する名前と選手育成の思いが重なり、現在につながるスポーツが形づくられていった。
いま、中継所で選手がたすきを渡す場面を見るとき。
その出発点にあったのは、京都から東京まで、夜も止まらずに走り継ぐという、約500キロの挑戦だったのである。



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