習近平はなぜシー·ジンピンと呼ばれない?──本人に通じない日本語読みと、ジャッキーとの違い

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日本のニュース番組で連日耳にする中国の国家主席、「しゅう・きんぺい(習近平)」。
この呼び名に違和感を抱く日本人はほとんどいないだろう。しかし、もしあなたが彼に直接「シュウ・キンペイさん」と呼びかけても、彼はおそらく自分の名前だと気づかない。

なぜなら、彼の母語である中国語での発音は「シー・ジンピン(Xi Jinping)」だからだ。

アメリカの「ドナルド・トランプ」やフランスの「エマニュエル・マクロン」のように、外国人の名前は現地の発音に近づけて呼ぶのが現代の常識である。

それにもかかわらず、なぜ中国のトップだけは「日本人にしか通じない架空の音」で呼ばれ続けているのか。

そしてさらに奇妙なのは、同じ中国語圏の人物であっても、俳優のチャン・ツィイー(章子怡)やジャッキー・チェン(成龍)は現地の音や英語名で呼ばれているという事実だ。

本稿は、この「名前のねじれ」の裏にある日本と中国の漢字文化の歴史と、報道機関の複雑なジレンマを解き明かすレポートである。


第一章:「相互主義」という名の暗黙のルール

日本が中国人名を「日本語の音読み」で発音する最大の理由は、日中両国が同じ「漢字」を共有しているという歴史的背景にある。

  • 中国でも「オオタニ」とは呼ばれない
    • この現象は、実は日本側だけの問題ではない。中国のニュースでも、日本人の名前は中国語の発音で読まれている。
      例えば、「大谷翔平」は中国語で「Dàgǔ Xiángpíng(ダーグー・シアンピン)」、「安倍晋三」は「Ānbèi Jìnsān(アンベイ・ジンサン)」となる。
  • 暗黙の相互主義
    • 日中間に「互いの名前は自国語で読もう」という条約があるわけではない。しかし、長きにわたり互いの漢字を自国の発音で便利に読み合ってきた歴史的慣習が定着し、現在に至るまで一種の「相互主義」として機能しているのだ。
ブクブー
ブクブー

「ええっ!中国の人たちも、大谷選手や日本の総理大臣を中国語の読み方で呼んでたんだブー!?お互い様だったんだブーね!」


第二章:原音化の試みと「挫折」

もちろん、日本でも「外国人の名前は現地の音(原音)で呼ぶべきだ」という議論がなかったわけではない。

  • 戦後の国語審議会
    • 戦後、報道各社と文化庁は中国の地名・人名を原音で呼ぶルールを真剣に検討した。
      しかし、「毛沢東(もうたくとう)」や「周恩来(しゅうおんらい)」といった歴史上の人物の呼び方まで急に変えると大混乱を招くこと、そして中国語特有の「声調(音の上がり下がり)」をカタカナでは正確に再現できないという技術的な限界から、完全な原音化への統一は挫折した。
      結果として、政治や歴史の分野では「日本語読み」という慣習がそのまま残されたのである。

第三章:ジャッキー・チェンが「せいりゅう」にならない理由

ここで興味深いのが、エンターテインメント界における呼称の違いである。

  • 経路によるルールの変化
    • 香港が生んだ世界的スター、ジャッキー・チェン。彼の漢字名は「成龍」である。もし習近平と同じ「日本語の音読みルール」を適用すれば、彼は「せいりゅう」と呼ばれなければならない。
      しかし、彼が日本に紹介されたのは、ハリウッドや香港映画界という「国際的なエンタメ市場」を経由してのことだった。そのため、国際的な芸名である英語の「ジャッキー・チェン」がそのまま定着したのである。

つまり、現在の日本における中国人名の呼び方は、「その人物がどのような経路・分野で日本社会に入ってきたか」によって以下の3つに分断されている。

  1. 政治・歴史(教科書ルート): 日本語読み(習近平、毛沢東)
  2. 現代の文化人・スポーツ選手: 原音寄せ(チャン・ツィイー、ヤオ・ミン)
  3. 国際的スター: 英語名・芸名(ジャッキー・チェン、ブルース・リー)
ブクブー
ブクブー

「なるほどだブー!ジャッキーを『せいりゅう』って呼んだら、誰のことかサッパリ分からなくなるブー(笑)。入ってきたジャンルでルールが変わるんだブーね!」


第四章:韓国・北朝鮮との決定的な違い

さらに矛盾を感じさせるのが、同じ漢字文化圏である韓国および北朝鮮(朝鮮半島)の人名の扱いである。

現在、日本では北朝鮮の最高指導者を「キム・ジョンウン(金正恩)」、韓国の大統領を「李在明(イ・ジェミョン)」と、現地の原音に近い形で呼んでいる。
かつては朝鮮半島の人々の名前も「きん・しょうおん」「り・ざいめい」のように日本語読みされていた時代があった。しかし、植民地支配の歴史的背景への配慮や、「本人の名前は本人の発音で呼ぶべきだ」という国際的・人権的な意識が高まり、メディアは段階的に原音呼びへと移行した。

朝鮮半島との間では原音化が進み、中国との間では日本語読みが残るという、この論理的とは言えない「ねじれ」もまた、各国との複雑な歴史の積み重ねの結果なのである。


終章:名前は誰のものか

結論として、習近平が「シー・ジンピン」と呼ばれないのは、単なる怠慢や中国語の難しさだけが理由ではない。そこには、数千年にわたる漢字の共有の歴史と、報道機関の慣習が深く根を下ろしていた。

グローバル化が進み、海外のニュース映像に直接触れる現代において、「Xi Jinping(シー・ジンピン)」と「しゅう・きんぺい」が結びつかないことは、情報収集の面でも明らかな弱点となりつつある。

名前とは、本人を指し示す固有の音であると同時に、社会がその人物を認識するための便利な記号でもある。
いつの日か、日本のニュースキャスターが「中国のシー・ジンピン国家主席は――」と原音で報じる日が来た時。私たちは初めて、「しゅう・きんぺい」という名前が、日本人のためだけに作られた都合の良い“翻訳”であったことに気づくのかもしれない。

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