2026年9月9日午後5時頃、元プロ野球選手で野球解説者の張本勲さんが東京都内の病院で亡くなった。86歳だった。
若い世代にとって、張本さんといえばTBS系『サンデーモーニング』のスポーツコーナーで、毎週のように「喝!」を入れる“辛口の評論家”というイメージが強いかもしれない。その歯に衣着せぬ発言は度々SNSを騒がせ、賛否両論を巻き起こした。
しかし、その「喝」の奥には、現代の恵まれた環境にいる選手たちへの、彼なりの強烈な愛情と当事者意識が隠されていた。なぜなら彼自身が、複数の困難を背負いながら、自らの努力でプロ野球の頂点へ登った人物だったからだ。
通算3085安打(日本プロ野球記録)、504本塁打、319盗塁、首位打者7回。
日米通算ではイチローが上回るものの、「日本プロ野球のみ」で3000安打を達成した選手は、長い歴史の中で今なお張本勲ただ一人である。
本稿は、彼が遺した偉大な数字とともに、被爆体験、大やけど、そして差別という過酷な境遇を跳ね返した、壮絶な86年の生涯を振り返るレポートである。
第一章:絶望からのスタート──右手の障害と原爆
張本勲の人生は、文字通り「絶望」から始まった。

1940年、広島市に生まれた彼は、わずか4歳の時、焚き火による事故で右手に大やけどを負う。戦時中で十分な治療も受けられず、右手の指には重い障害(癒着)が残ってしまった。本来なら、野球選手を夢見ることすら諦めるほどのハンデである。
しかし彼は、自由の利く左手を軸にし、右手の障害を周囲に悟られないように特注のグラブを使い、右手の障害を補うため、繰り返しバットを振り続けた。
さらに翌1945年8月6日、5歳の張本は爆心地から約2キロの自宅近くで広島原爆に被爆する。 自身と母は奇跡的に助かったものの、最も慕っていた姉が犠牲となった。
右手の大やけど、原爆のトラウマ、そして在日韓国人としての出自。戦後の貧困と差別にまみれた社会で、野球は、自分の存在を証明し、人生を切り開くための大きな手段となったのである。

「ええっ…!手が不自由だったのに、あんな凄い記録を作ったんだブー!?想像を絶する努力と精神力だブー…!」
第二章:「安打製造機」の真実──孤高の広角打法
大阪の浪華商業高校で頭角を現した張本は、1959年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)へ入団。ここから、不滅の記録への歩みが始まる。

- 1年目から才能を発揮
- 1年目から高卒ルーキーとして125試合に出場し新人王を獲得。3年目には初の首位打者に輝き、1962年にはチームを日本一へ導きMVPを獲得した。
- 安打だけではない総合力
- 「安打製造機」と呼ばれた彼だが、単にヒットを当てるだけの選手ではない。投球を極限まで引きつけ、逆方向にも強い打球を飛ばす「広角打法」を武器に、通算504本塁打、319盗塁を記録。打つ、走る、長打を放つという全てを兼ね備えた、球界屈指の総合力を備えた打者であった。
- 王貞治との「OH砲」
- 1976年、35歳で巨人へ移籍。35歳での移籍ながら、1年目に打率.355を記録し、王貞治とともに長嶋巨人のリーグ優勝に大きく貢献した。
- 前人未到の3000安打
- ロッテ移籍後の1980年、日本プロ野球史上初となる通算3000安打を「本塁打」で達成。1981年に引退するまで積み上げた3085安打は、現在も日本プロ野球最多記録として残っている。

「ホームランで3000本目を決めるなんて、スターすぎるブー!まさに日本の野球界のレジェンドだブー!」
第三章:「喝!」の奥にあったもの、そして晩年の使命
現役引退後、彼は解説者として『サンデーモーニング』の名物コーナーを担当する。
彼の「喝!」は、時に現代スポーツの価値観(科学的トレーニングや休養の重視)と衝突し、「昭和の根性論だ」と批判されることもあった。
その厳しさの背景には、自身が厳しい環境から野球で人生を切り開いた経験があったと考えられる。ただし、本人の経験だけですべての発言を説明することはできず、その価値観が現代のスポーツ環境と衝突したことも事実である。

- 平和の語り部として
- 晩年、彼はもう一つの顔を見せるようになる。長年封印してきた自らの被爆体験や、亡き姉への思いを、積極的にメディアや講演で語り始めたのだ。
- 若者が原爆の落とされた場所を知らないと聞いたことが、自らの体験を語り始める一つのきっかけとなった。自分が語らなければ、あの悲劇が忘れられてしまうという思いがあった。
- 彼は「3085安打の張本勲」という圧倒的な知名度を、次世代に平和の尊さを伝えるための拡声器として使い続けたのである。
終章:残された「3085」という数字
いつか、誰かが「3085安打」という数字を塗り替える日が来るかもしれない。
しかし、その数字の裏に刻まれた、障害の残った右手でバットを握り、戦争と差別という理不尽を跳ね除けた一人の男の不屈の魂までが、塗り替えられることは決してない。
「喝!」と響き渡るあの声がもう聞けないことに、一抹の寂しさを覚えるプロ野球ファンは多いだろう。
日本野球史に、そして戦後日本の復興史に巨大な足跡を残した張本勲さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。



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